藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

時代の変質。

これまでも何度かジャネーの法則について書いたことがあるけれど、この理屈の意味する「年を取ればとるほど一年の相対的な体感は短くなる」ということはやっぱりあるのだと思うけれど。
それとは違う感じがするのだ。一年の経ち方が。
情報量は飛躍的に増え色んなことが、かつてないスピードで過ぎてゆく「目まぐるしさ」ということも原因かもしれない。何か落ち着いてぼうっとしている時間が少ないから振り返る暇がないということはあるだろう。
けれどそれとも違う。

思い当たるのは「イベント追従」の性質だ。
何か「この波が過ぎたらすぐ次の波」のような何かを追いかけていないと落ち着かないような風潮。
目の前のニンジンよろしく、次々に飛びかかるものがないと不安になっているということはないだろうか。
格差社会とは言うけれど、情報はリアルタイムに飛び交うし多くの部分はフラット化し、均質化していると思う。
自分のつぶやきを聞いている人もいるし、人の近況も都度都度目に触れる。
メールのチェックがいい例だ。
多くの人が携帯かスマホにメールを飛ばし、肌身離さずチェックしている。
会議や客先での携帯禁止、という標語も聞かなくなった。
若者はLINEの返事がすぐにないとイライラするという。
街中では、クリスマス、カウントダウン、お正月、成人式にお彼岸、新年度・・・と次々にイベントが催され、自分や友人や家族の○○記念日、なんてのも入れると「何もない月」なんてなくなっている。

イベントに追い回されていると思っていたら、自分が追いかけていないと不安になっているように思える。
先日米国の友人と話していてそんな話題になった。
欧州はともかく、アメリカはそんな感じで日本も追随しているのじゃないか、というのだ。
(つづく)