藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

主張する側でなく。

山下達郎さんの一言。

この社会は職種に関わらず、懸命な仕事人の働きによって回っていると思います。

先日、友人が「格差社会って何事か。そんなもの生まれたら皆格差の中にいるもんだ。」と鼻息が荒い。
何でもそういうことばかりの国会審議を見ていて腹立たしいのだという。
日銀の異次元緩和とかGDPの60%も借金があるとか、円高であれだけ憤慨していた大企業が今度は「行き過ぎた円安」とかいうのを聞いていると、何が正しいのかということは見えにくいものだと実感する。

世の中の政治が見えないと、段々とあきらめ感が出てきて、というよりもそういう話題に飽きてきて自分の身の周りについて文句ばかりいうようになる。
いわゆる子供だ。
よく昔母親に「他所はよそ。うちはうち。」と怒られたもんである。
自分にないものや環境を持っている人を見ると羨む。
先の友人はこれを憤っているのだろう。

この社会は職種に関わらず、懸命な仕事人の働きによって回っていると思います。

という一言を聞いてハッとする。
プロとしての山下さんの矜持。
文句を言う側でなく自分が「社会を作る側にいる」という明確な自覚というものがあるのだ。
文句ばかり言うな、要求ばかりするな、とよく言うけれど果たして自分は「懸命な側」にいるだろうか。

どのような職業であれ立場であれ、自分が社会を回す側の一員であるという意識は、詰りは当人の日々の行動をも変えてゆくだろう。
その方が創造的であるのはもちろん、本人の幸福感も全く違ったものになるに違いない。
プロフェッショナルの一言は時にその人の人生が乗る重いものである。
"懸命な仕事人であれ"は重要な問いかけではないだろうか。