藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

夢のあるなし。

生きるとはどういうことか?というのとは少し違う。
子供や若い人に進路の相談をされるといつも思うこと。
「私はこれからどうしたらいいでしょうか」と聞かれ、それには「それは、あなたがどうしたいか次第ですよ」と答える。
色々と考えた末の答えで、多分正しいのだけれどこれでは何も進まない。
それが分からないから聞いているんだから。

人生って何か。
色んな解答がありそうだ。
今自分が思うのは「先との戦い」。
関西弁で言うと「ヘタレとの戦い」となると思う。
若いころよく友人と駄弁(だべ)っていた。

「一日一万円あれば十分暮らせるよな」
「うむっ」
「じゃあ二十歳の今から一年365日×50年とすると1億8250万円。これだけあったらもう終わりやな」
「うむ。住む部屋があれば完璧や」

こういうのをヘタレと言う。

安心してしまったり、自分を安全地帯に置こうという感覚。
そしてそれ以上を志向しようとしない思考のことだ。

日々の「口を糊す糧」がなければ、何よりも米が欲しいと願う。
米があれば暖かい着物や住居を望む。
それがあればさらに…
そして「もう、ある程度だな」と程々の状態に安住する。
明日の食料が無いのは誰しも不安だが、「その先」が見えてしまうと途端に「安心モード」に切り替わってしまうような状態だ。

常に贅沢を志向せよ、ということではなく。
「夢を持とう」という表現に近いだろうか。
「人生とは夢を持つこと」という回答は悪くはない。
何か心の歩みというか、精神的に止まってしまうことへのつまらなさとか、無意識の飢餓感があるような気がする。
"stay hungry,"はジョブズ座右の銘だが、人生を謳歌するというのはそういうこと、とも言えるのではないだろうか。