藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

忙しくても考える。

昨年霞が関の人に会う機会があったのだが、その忙しい様子に驚いた。
平均で一日に5-6件の訪問があり、さらに自分が視察に出たり講演したりというイベントが加わるという。
自分なら一日に5つも会議があったらそれだけでどの会議で何を話したかは分からなくなるだろう。
手帳とノートと何よりも"記憶"を駆使しての仕事ぶりはそれだけで職人的な感じがした。
それでいて夜は友人や家族と過ごす時間も取っているというから「霞が関のお役人」というちょっと悠々とした感じのイメージは大分変わることになった。

その後もそういうことについて考える。
来る日も来る日も馬車馬のように働いて毎日が過ぎてゆく。
忙しくしていればいるほど、日々の過ぎるスピード感は早いに違いない。
あの人は今50代だから、あっという間に定年まで過ぎてゆくのだろう。
それで老後に入った時にはどんなものが残っているのだろうか。

自分はどうだろうか。
日々がそれほど忙しいわけではないけれど、だからといって何か特別に残っているものも見当たらない。
目茶苦茶忙しくて充実感だけが残っていた二十代のような過ごし方ではなく、けれど「忙しくなくとも自分のテーマとか夢については常々考えるようなこと」が習慣として必要なのだろう。
スピードボートに乗っていても、ゆっくり小舟で漕ぎ出していても、船の進路のかじ取りについてはいつも意識していなきゃなぁ、と超多忙の人を眺めて思ったのでした。

忙しい人はどんどん忙しくなるものである。