藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

今が入口。


本は安い。
飲み代とか、洋服代とかに比べても格段に安い。
服は捨てることができるし、飲み代は場所を取らないが、本は捨てられない。
師いわく「本は最大の出会いをもたらす」。

思えば、その著者や編集者が何か月も頭を凝らし、工夫して言葉を選び、満を持して印刷されるのが書籍である。
ちょっとネットにブログを上げるのとはそこが違う。
ひょっとしたら出版物って「内容と価格」が最高に非対称なものなのではないだろうか。
ひょっとしたら活版印刷以降の産業革命はまだ成されていないのではないか、とも思う。

極力処分したり、買わないようにしているけれど、それでも溜まる。
すでに数千冊。
兄の自宅を訪問すると数万冊の蔵書におぞましい感覚を覚える。
処分もできぬし、読破も叶わぬ。

電子書籍か。
立花隆が自社ビルの蔵書を全部キンドルに変えました、と聞けば別だがまだまだデジタルに置き換える感じてもない。
図書館に通えばいつでも数万冊の本がある、けれどそういう感覚で充足できるものでもなさそうだ。
所有したいわけではないけれど、常に身近にないと"出会い"もない感じがするのである。

古代アレキサンドリア図書館構想のように、そのうちすべての書籍やテキスト情報が電子化され、アクセスできる時期が来たらようやく知識革命が訪れるのかもしれない。
今のネットへの「何でもアップロード時代」はそのとば口のような気がするのである。
どんな知識にも均等にアクセスできるって究極の平等なのではないだろうか。