藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

これまでにはない常識。

(6)幸運な時代の終焉。(パラダイムの変化)
お手本。
ロールモデル
こうすればいい、という成功例がなくなった。
バブル崩壊の後、大企業が突然つぶれたり大赤字になるのが今の社会だ。

『人口増、高度成長、そしてキャッチアップ型モデル、の終焉』と喝破する著者の指摘は、特に今の若い世代には重要だ。
要するに「大企業に入ればok」とか「銀行に行けば間違いない」という成功の鉄則が崩れているのである。

これまでの成功例が通用しなくなった、ということに自分たちは気付きにくい。
戦後五十年以上続いてきた「勝利の方程式」が崩れたと言われても、しばらくは信じられないのが当たり前とも言える。
かく言う自分も就職する三十年前、まさにこの方程式に乗るべく四苦八苦していた。
その時は「それ以外」なんて考えにくかったのである。

三十年経った今、ずい分実感として感じられるけれど、特に若手は「これまでの成功パターン」には懐疑的であるべきだと思う。
成功者やリタイアした人たちが語る「これまでの常識」は、実はこれからの非常識になっている可能性がある。
自分の頭で考えよう。

(7)大学では勉強すること(世界で通用するために)
これは自分の耳が痛い。
著者の提言の中核部分だが、今の社会では相当なおざりにされていることだと思う。
もう何十年も大学の、特に文科系学部では「社会で役に立つ勉強などしていない」ということが常識になっている(と思う)。

実際有名大学の学生を面接しても「学生時代は部活ばかりしていました」とか「バンドで活躍していました」と聞いても違和感がない。
教育機関が本来の機能を果たしていないことを、大人たちはある部分認め、その問題には根本的に触れずに社会人になることを許容しているのが今の通念になっている。

「学生が学生時代に、分野を問わず学習に専心すること」はなるほど実は重要な話である。

先の「正解ありきのキャッチアップモデル」同様、学習を通して「自分の頭で考え、選ぶ」という基礎能力を鍛えることは即効性を求めるのは難しいが、社会人の側からこそ考えねばならないテーマだと痛感する。
「いいのいいの、学生時代のことなんて」という風潮は社会人の側から改めねばならない根本姿勢なのに違いない。
(つづく)