ウェブ前提。
これからのサービスとか製品を考える時には「その考えをウェブで…」というプロセスは短縮されて、「(ウェブ上では)このサービスは…」という風に、もう段階が一つ進んでしまっている時代のようだ。
ここ三十年でネットの進化にモロに晒されていた自分の世代は、物事を考える土台を一段上げる必要がある。
十年前の「セカンドライフ」はそんなウェブ世界の様子を先取りしていたのかもしれないと思う。
コンピュータの世界も大型機からPC、インターネット網とその高速化、ストレージのクラウド化、と瞬く間に態様を変えて進んできているけれど、「クラウド」で何でもネットの向こう側に無限にデータを置けるようになったあたりで「そろそろ進化もここまで辺りかな」と思っていたら甘かった。
梅田望夫さんの提唱したウェブ進化は、まだこれからのようである。
これまでは「人間がコンピュータを持ち、それが普及してユビキタス社会へ…」というイメージだったけれど、ここへきて俄かにIoTの話題が熱い。
最初はピンと来なかったが、要は「CPUやOSを持つ世界中の機器がインターネット網につながる」ということである。
もちろん自分たちの持つスマホもだ。
世の中、人間の数より機械の数の方が断然多い。
自分の部屋の中の家電たちとか、マンションのエレベーターとか、電車網とか発電所とか航空管制とか。
もうありとあらゆる所に使用されているコンピュータたちが「全部つながる時代」になっている。
ここ二十年で発達したインターネット網は、人の使うコンピュータだけでなく、その周囲の機器類をすべてネットワークしようとしている。
クラウドの世界は「人のコンピューターの使い方」としては究極的だったけれど、今度は「物」の次元に移行する。
その「すべてがつながる世界」ではこれまでにない発想で人と機械とソフトウェアが結びつき、これまでの「クラウド」にはなかったサービスや利便性をもたらすのは想像に難くない。
またそうしてみると「人が使うクラウドの世界」から「すべてのコンピュータ機器がつながる世界」へと爆発的につながる物の数が増え、またその莫大な機器が全て「インターネット網一つにつながる」というこれまでにない脅威も感じるのである。
同一のネットワークでもっとすごく便利になる、けれど単一の世界は崩れた時が恐ろしい。
今はそんな変化の入り口付近だろう。
本当の変化はこれから始まる。
・インターネットというものを知ったとき、
いまじぶんのいる「この場所」が、
地球上のどことでもつながるということに興奮した。「ここ」にいるわたしが、
エジプトでもアラスカでも、チリでもタイでも、
とにかくどこの人とでも交信できるということは、
いまだかってない「能力の拡大」だと思った。
少年のころに手に入れた、じぶんのための自転車が、
それまでとはまったく別の次元の世界に
連れていってくれたように、
インターネットは、ものすごい速さで、
どこまでも遠くに行ける乗り物に思えた。その直前まで、何者でもない個人が、
世界と通信するなんてことは、夢でさえなかった。
つまり、おそらく、「そんなことをしたい」なんてこと、
思ってもいなかったのだと思う。
とんでもない乗り物を手にして、
人びとは、さまざまな便利やビジネスを生み出した。
そして、インターネットそのものに興奮する時代も
なんとなく終わって、この乗り物は、
あって当たり前のものになってしまった。「デジタルネイティブ」ということばもあるけれど、
「インターネットは、当たり前」
というところをスタート地点にして、
ものごとが考えられていく時代になっている。
自動車も、テレビも、そういう時代を経てきたわけで、
インターネットも、やっとそこまで普及したとも言える。ぼく自身が考えているのは、「超ローカル」だ。
「もっと遠くへ、もっと速く」だったインターネットが、
「もっと隣りへ、もっとじっくり」を、含んでいく。
世界のたまごやきが見られるのもインターネットなら、
隣りの家のたまごやきを知るのも、インターネットだ。
「地球をぐるっと一周して、じぶんの後頭部を見る」
というようなことをするのにも、
インターネットという乗り物は、とても都合がいい。
ここ二年くらいは、そういうことを考え続けている。今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ますます、「汝の隣人を愛せよ」のすごみを感じているよ。