藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

コンテンツは私が選ぶ。

よく拾い読みでも価値がある、というようなことを言うが、著者が真面目に書いた本なればこそじっくりと味わいたいと思うものだ。
時間をかけて章立てし、推敲されたテキストは、思い付きを書き付けているブログとはずい分違う。

また「本は人との出会いのようなもの」とも言う。

その心は、だからしばらくは本棚に飾っておいてもふと目に付いたときに再び出会い、そこからお付き合いが始まる…ということだが、そのために大量の相手を自室の本棚に待機させておくのも心苦しい。

大型の書店に入って自然科学やら新刊書やら宗教やら実用書から文学、漫画などその創造的分野の多さにワクワクする。
そして、その中で色んな平積みの推薦書などを物色するのは、知らない街の海外旅行のようなものだと思う。

文学から実用書まで、実は自分の知りたいこと、学びたいと思っていたことは何だろうか、ということを改めて考える上で書店内の散策というのは貴重な方法だ。

対してネットの使い方というのは(リンクはありこそすれ)ピンポイントを目的にして「それだけ」を知るためには重宝する。
毎日多くの時間を「ネットで言葉を追いかけること」に使うのを少し改めてみることは結構重要で、つまりは自分のライフスタイルにも関わってくることだと思う。

昔はテレビの視聴がそうだったように、コンテンツありきでの生活ではなく、必要なコンテンツは自分が選りすぐったものだけにするのがネット時代の上手い時間の使い方ではないだろうか。

刺激的な見出しやニュースは一見楽しいようだが底は浅い。
できるなら深く、味わいのあるコンテンツと接していたいと思う。