藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

優先すべきこと。

糸井さんのブログより。
一点でも点数を稼ぎに行くことと、「結果を成功に導くこと」は別物だ。

学校のテストみたいなものは、
「かんたん」な問題をさっさと済ませて、
 少しでも得点を稼ぐほうが有利になるから、
 ついつい、そういうやり方に走る人が多い。

細かく点をとっても「最大の山場」で頓挫したら、プロジェクトは失敗になる。
自分なら出来るに違いないことを細かく重ねて、「総合点を競い合うような種類」の競争なら、そうした戦略は有効だ。
ただ人生の決断とか、新規のプロジェクトとかいうのは「細かい点稼ぎ」だけでは勝てない。
むしろ「決定的なヤマ場を乗り越えたかどうか」が成否を分けることが多いと思う。
だって「新しいこと」をするのには、周囲で小銭を稼ぐことは目的ではないから。

そのプロジェクトとか問題の解決に"決定的に必要なこと"に最重点で組み合わねばならない。
周囲の配慮は誰かがしてくれるものだ。

「得体が知れなくて、一番手ごわいところ」が本当の相手なのだ。

何かゲームのストーリーのようだけど、それさえクリアできれば後は何とかなる。
まずは本物の相手探しだ。

 
・「ほんとにかんたん」なことなど、なにひとつない。 
 「かんたん」に見えることというのは、
 いったんできあがったものを、
 ちょっと元にもどしておいたものだったりする。
 つまりは、インスタント食品とかがそうだ。
 3分でできる、というのはほんとだけれど、
 それは、要するに「3分で戻せる」ということだ。
 
 もうひとつは、「かんたんにできる」と思ってる
 ご当人ではなく、まわりにいる人たちが、
 いろんな用意をしてくれているという場合だ。
 これは、だれにでも覚えがあるはずだ。
 「あ、ここのところは、あいつがやってくれてたのか」
 なんて、後でわかることだらけである。
 
 さらには、「できると思ったが、やってなかった」
 という場合も、「ほんとにかんたん」と思われやすい。
 口だけでいいなら、たいていの人は万能でいられる。
  
・ぼくの経験のなかでは、たいていの問題について、
 「むつかしい」と判断することが多い。

 「かんたん」だと思いすぎているときには、
 ほんとうにだれでも考えつきそうなことから、
 順番にやってしまうことがあるからだ。
 学校のテストみたいなものは、
 「かんたん」な問題をさっさと済ませて、
 少しでも得点を稼ぐほうが有利になるから、
 ついつい、そういうやり方に走る人が多い。
 でも、まずは、そういうやり方は、
 後になってほんとうの山場で苦しむことが多い。
 だから、まず、「むつかしい」と覚悟をしておいて、
 どこからなにを見えやすくしていくかを熟考する。
 ぼくは、どの問題から解いていくかが、
 いちばん大事なことのように思っている。
 
 そして、その「むつかしい」と向き合っている間、
 とにかく「いずれはできる」と気持ちを明るくする。
 できないことではなく、できる難問の糸口を考えるのだ。
 こんなことを、ずっとくり返している。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
12月6日は、岩田さんの誕生日。56歳になったはずの日だ。