- 作者: 長谷川眞理子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1999/07/19
- メディア: 新書
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米国大統領選をはじめ、世界はポピュリスト政治の激動にさらされている感がある。ポピュリスト的主張は往々にして、客観的データに基づく自由な政策の議論を否定する。格差拡大という社会背景はあるにせよ、「科学する心」を欠くと社会は混迷に向かってしまう。
格差とか老後の不安とか、だから徹底保守だとか他種排斥だとか。
また何か事件が起これば、その周囲を含めて徹底的に叩く傾向も顕著だ。
情報が氾濫し、どんどん専門化もする今の時代には「その一点」だけを見ているとバランスを崩しやすいのではないか。
昔は全体ありき、というくらいの精度でしかなかった情報やデータが、今は量もスピードも以前の比ではない。
政治もマスコミも「ちょっと自分たちに酔いすぎ」と思える今、科学の目を持つための清涼剤のような存在だ。
科学する心 社会に大いに役立つと知る
小学校でも中学校でも理科は好きではなかった。自分の人生とどう関係があるのか一向に糸口がなく、興味がもてない。今と違い「女の子が理数系?」というのが周囲の風潮だったとも記憶する。
ところが、高校生活ではそれが一変した。まず『力学は宇宙船に乗って』(コロナ社)を書いた物理の広井禎先生の授業だ。この世の物理現象の背後にある、動かしがたいシンプルな原理・原則を理解する痛快さを知った。「人間はスピードに強く、スピード変化に弱い」といった一文も面白かった。数学の先生も最初の授業で「平行線は交わる。非ユークリッド幾何学では」と仰(おっしゃ)るではないか。びっくりし、前提から世界を論理構築する凄(すご)さを味わった。
自然科学の原体験は強烈だったが、進路はやはり文科系を選んだ。ところが、経営戦略のコンサルティング会社に勤務すると、集めたデータなどの客観的根拠を分析し、事実を正確に把握すること、それらを他者と冷静かつ自由に議論し、結論を共有する仕事のやり方を徹底してたたきこまれた。そのうち、「これって結局科学?」と思い至った。大げさに言えば、科学的な手法が実際に社会に役立っていることを私なりに実感した。
『科学の目 科学のこころ』(長谷川眞理子著、岩波新書)はこうした実感を裏付けてくれる。「サイエンティフィック・リテラシー」、すなわち科学の基本にある考え方や意味についての確かな理解が現代社会にとって重要だと説く。万有引力の法則を発見したニュートンは、50歳を過ぎてから造幣局の官吏に就任すると、汚職を徹底的に洗い出して局長に任命されたなど、面白いエピソードも満載だ。
米国大統領選をはじめ、世界はポピュリスト政治の激動にさらされている感がある。ポピュリスト的主張は往々にして、客観的データに基づく自由な政策の議論を否定する。格差拡大という社会背景はあるにせよ、「科学する心」を欠くと社会は混迷に向かってしまう。
現代社会の進歩を支える科学。かといって現実の科学者の言うことを鵜呑(うの)みにするのも考えものだということも政府の審議会などで経験した。特に現代は多様な分野ごとの専門化が進んでいる。
学界や研究機関は往々にして特定分野への巨額予算の配分を主張したりするが、それが社会全体としてはバランスを欠く場合もあるように思う。科学者もできるだけ幅広く社会との接点を持ち、過度の専門化の弊害に陥らない、オープンな姿勢が必要なのだろう。それが、結局は科学の本旨に沿い、進歩につながるのではないかと密(ひそ)かに思っている。
(エコノミスト)