藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

レベル自在

*[ウェブ進化論]対話の作法。
少し前、“質問力“という言葉が流行っていた。
質問するにもその知識と思考力が必要だという話で、質問力を高めることを意識せよ、という問いかけには「なるほどなぁ。くだらない質問をする人いるもんなぁ」と思ったものだ。

 

似たようなことだが、人は「"自分が理解できるレベル以上の対話"になったら質問の方法を変えなければならない」というお話。

 

何か話をしていて、少し専門的な話題になると、途端に「中学生レベル」に会話の内容が落ちてしまったりする。

これはお互いの知識レベルの格差が原因なので、そうなった途端に

「詳しい方の人は、より簡潔に分かりやすく」する体制に変化し、「詳しくない側の人は、より原理的に、しかし構造的に」質問する姿勢に変わらねばならない。

例えばコロナウィルスの対談で、専門家と言われる人があれほど発信をする中で、一般人にも分かりやすく、しかも

「分かっていること、分かっていないこと、これからの注意点」が簡潔に話せている専門家は案外少ないことに気づく。

 「事実」と「推論や可能性」を明確に分けて話ができるのは、医師や科学者の中でもそれほど多くはないようだ。

池上彰さんやホリエモンといった人たちは、そういうことに卓越した能力があるのではないだろうか。

反対に、「自分の言いたいこと(政治的思想みたいなもの)を言うために、都合の良いデータや言説を引用して作られたコメント」ほど邪魔なものはない。

今回のコロナ騒動は、そんな機転を一般市民に広く与えたのではないだろうか。

 

後から個別に検証したら、その人なりの特徴が現れていて面白いと思う。