藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

自分を見る意識。

造船という、製造業の中でもかなり古い部類の企業が再編にさらされている
船積み貨物は世界の景気を映す、とよく言われるが「地球の上で動く貨物の動き」は確かに世界中の物流を測る物差しでもあるのだろう。

それにしても三菱重工今治造船IHIJFEなどのプレイヤーたちの名前と、その彼らの今のコメントを聞くと「時代が動くということ」を肌で感じざるをえない。

いろんな個別の理屈で動いている各々の企業と、「その外の世界」は別に動いている。
業界内の理屈は、業界内では一定の意味を持つけれど、「外界」では全く意味がない。

これは業界でも、一企業内の組織でも同じことが言える。

自分たちは「その世界の中」で必死で考えているつもりでも、外部の変化力には無力。
つまり「自分たちの理屈」で話しているうちはいいが、「外の世界」は全く違う理屈で動いているということだ。

水は淀むとそこから腐るという。
自分の会社の内部とか、
あるいは「自分自身の内部」で、何か停滞し、因習にもたれているところはないだろうか。
経験とか、知識という建前のもとに、見過ごしている「淀み」を気にかける姿勢は重要なことだろう。

老人が老害を為す、のは自身の老いに自身が気付いていないからである。

自分で自分の老いを測るのも技量の内に違いない。

造船サバイバル、メンツ気にしてられぬ(ルポ迫真)
2016/10/25

 8月30日午前、東京・港の三菱重工業本社で開かれた取締役会。国内建造量トップの今治造船など造船専業3社との提携協議開始が決議されたが、社長の宮永俊一(68)には実はもう一つの腹案があった。

 IHIやJFEホールディングスの造船子会社を統合したジャパンマリンユナイテッド(JMU)との提携――。8月以降、宮永は造船部門の事務方を通じて、JMUが提携に応じるか、探らせた。建造できる船種が重なるうえ、「打倒・三菱重工」で結束した経緯もあり「提携の実現性は薄い」と宮永は内心思っていた。しかし、「三菱重工の造船部門が生き残るにはメンツなど気にしていられない」として事務方をJMUに走らせた。

 予想通り、JMUの反応は芳しくなかった。三菱重工内でも「提携すれば主導権をJMUに奪われる」「イージス艦の受注をJMUに奪われた。ライバルとは組めない」などの反対意見が出た。

 30日の取締役会ではJMUとの提携も並行して検討したことが説明された。社内の大勢は今治などとの提携強化。「専業と手を組むほうがメリットがあるのでは」との社外取締役の意見が決め手となり、JMUとの提携は幻となった。

 宮永が造船事業の改革を急ぐのは、収益性の低い造船事業への市場の目が厳しくなっているからだ。就任以来、「機械のデパート」といわれるほど広がりすぎた事業の整理を進め、筋肉質の事業構造を目指してきた。造船事業も当然、改革の対象となるが、一筋縄ではいかなかった。

 造船事業の主要拠点である長崎造船所(長崎市)は、1884年三菱グループの創業者、岩崎弥太郎が明治政府から造船所を借り受けたのが始まりで、三菱重工発祥の地だ。かつては長崎造船所の所長は本社社長より立場が上ともいわれた。

 中韓勢が台頭する中、「三菱重工しかできない船を造る」と、コンテナ船などに比べて利幅の大きい豪華客船の建造に着手したのは2013年。総トン数で10万トン規模の大型客船を手掛けるのは10年ぶりだった。

 しかし、発注元の顧客の嗜好にあう欧州風の内装や劇場、無線インターネットの整備などで何回も設計変更を迫られた。今月18日の客船事業の構造改革の記者会見では、社内に設けた「客船事業評価委員会」が「過去の受注実績に基づく楽観的で拙速な受注判断があった」と痛烈に批判した。2400億円にも積み上がった損失は、長崎造船所復活のシナリオとともに、エンジニアたちのプライドも失墜させた。

 宮永は「同じ所にずっといては同じ考え方に染まる。悪い意味で上意下達の組織。新しいことを始める時に必要な多様性がなかった」と分析した。「ここまで根が深かったのか」。長崎造船所にはびこった病巣の深刻さを宮永は記者団に囲まれるなか、思わず漏らした。

 造船不況が直撃したのは三菱重工だけではない。三菱重工の提携協議開始の発表から1カ月後の9月29日の夜。川崎重工業社長の金花芳則(62)は早い時間に帰宅し一人思案を巡らせていた。巨額の損失計上を迫られた造船事業の今後だ。

 金花の脳裏によぎるのが13年の三井造船との経営統合を巡っての「内紛」だ。川重は当時の社長、長谷川聡(69)らが独断専行して決めた三井造船との経営統合案に関し、社内が割れた。統合は白紙撤回され、統合反対派の村山滋(66、現会長)が社長に昇格、金花も村山を支持した。

 川重は国内の造船所を坂出工場(香川県坂出市)にほぼ一本化し、付加価値の高いLNG船などに特化。ばら積み船やコンテナ船といった価格競争の激しい船種は中国の合弁会社で建造する体制を構築していた。「他社と比べてもいい絵を描けていると思っていた」(常務の太田和男=61)

 金花も他社と統合しなくても単独で生き残れるとの思いはあった。だが、海底油田・ガス田で使う作業船の建造で60億円の損失を計上。坂出工場で得意としていたはずのLNG船でも20億円の損失が出た。金花は翌30日の取締役会で造船事業を白紙で見直す「構造改革会議」の設立を自ら提案、退路を断った。

 三菱重工の宮永は足元の受注激減を「再編や構造改革を進めるいいタイミング」ともとらえる。その危機感を現場までいかに浸透させるかが、改革の成否を握る。

 リーマン・ショックの直後以上といわれる造船・海運不況に、重工や海運各社がどう立ち向かうのかを追う。(敬称略)