藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

思考を止めない自分を作ろう。

一言まとめが秀逸だ。

知りたくない情報を遮断し、それ以上の思考を停止させる自らの脳の行いを揶揄(やゆ)した表現だ。

自分たちの日々の仕事とか生活が分化し、「全体」を自分一人で担わなくなって久しい。

だから「生活全体の把握」とか「仕事全体の把握」とか「社会の把握」をする力がとても弱っている、という感じがする。

政治とか経済とか福祉とか国とか。
そんなものが「全体として目指すべき」という大志が見えなくなると、その下の部分部分では迷走が始まるのは道理だ。

統一した回答が得られていない分野は多い。
時代も進み、文明も科学も発展したから無理もない、とも思う。
だから「今の時代の大義」が求められているのだろう。

今の時代の国とか政治とか、
福祉とか税金とか、
外交とか社会貢献とか

そういう「大きなもの」を考えることはとっても大事だ。
哲学にも通じるだろう。
「そういうもの」をめんどくさい、という声も分かるけれど、けれど結局「そこ」に戻ってくるだろう。

結局自分たちが生きてきたこととか、これからの生きていく意味みたいなものは、「今の自分たちが今から考えて意思表示する」しかないだろうと思う。

過去の価値観とか慣例で、いつまでもこれからの時代には対応できないだろう予感はヒシヒシとある。
「過去にとらわれず」って一番難しいことなのかもしれない。
ボブ・ディランか。

バカの壁」を作るな

2016/10/25付
[有料会員限定] 養老孟司氏が記した「バカの壁」というベストセラー本があった。知りたくない情報を遮断し、それ以上の思考を停止させる自らの脳の行いを揶揄(やゆ)した表現だ。

 税や社会保障の分野では「103万円の壁」「130万円の壁」が知られる。前者は、サラリーマンの妻の収入が103万円を超えると本人に税負担が生じ、また夫に38万円の配偶者控除が適用されなくなるので、世帯の手取り収入減を避けるために妻が就業調整することを指す。

 実際は、103万円を超えると世帯収入が減る逆転現象が生じないよう、配偶者特別控除制度で手当てされている。だが多くの企業が103万円に連動した「手当」を出しており、この壁が生じている。一部企業が手当の支給基準を「配偶者の所得」から「子どもの数」に替え始めており、これが広がれば壁は低くなるが、配偶者控除がある限り壁は残ってしまう。

 そこで働き方改革として配偶者控除の抜本的改組が検討された。だが選挙風が吹き始めた途端、議論は150万円の壁を作る方向に動いてしまった。

 130万円の壁は、サラリーマンの妻の収入が130万円を超すと社会保険料を負担しなければならないことに起因する。企業にも社会保険料の事業主負担が生じるので、双方の利害が一致する130万円で就労調整をする現実がある。

 これを打ち破ろうと2016年10月に従業員が501人以上の企業の保険適用が拡大され、年収106万円以上になった。改正の方向は間違っていないが、中途半端な改革は新たに106万円の壁を作った。

 欧米では、専業主婦が労働市場に参入する際に生じる世帯の逆転現象をポバティ・トラップ(貧困のわな)ととらえ、壁をなくす制度が導入されている。米英、オランダ、スウェーデンなどは勤労税額控除で低所得勤労者に対する勤労インセンティブを与えつつ、税と社会保険料負担を一体的に軽減している。

 日本ではなぜパッチワーク的な対症療法しか導入されないのか。それは厚生労働省財務省がにらみ合う「霞が関の壁」があるからだ。より根本的な原因は社会保障・税一体改革に対する政権の無関心だ。「バカの壁」は政府にある。

(ミスト)