藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

沈む船の上で

コロナウィルスの流行は「業界の将来」を炙り出した一面もある。
日産向けが多いある部品会社の幹部は「日産への依存を減らすべきだとは思うが簡単じゃない」と話す。
(中略)
それなら日産にどうしがみつくかを考えた方が現実的とみる。 
「自動車」という一時代を作ってきた基幹産業が、紛れもなく収束する。
「時代の波」に乗ってきた人たちほど逃げ遅れる。
変われないのだ。
乗っている船が大きければ大きいほど「沈む船」への警戒感は絶望的に薄い。
 
よく日本政府の財政悪化が取り沙汰されるが、民間企業の場合はもっとはっきりしている。
「自動車業界」というこれまでのトッププレイヤーが沈む。
そのことを淡々と受け入れてのち、「これから何ができるか」を考えないと手遅れだ。
 
成功体験を知っている人ほど「そこ」からは離れられないという。
肝に銘じておきたい教訓ではないだろうか。
 
 
日産見えぬ「ゴーン」後(3)「隠れケイレツ」も岐路
 

 
日産は99年にリバイバルプランを発表し、「ケイレツ」の解体を進めた(写真は当時)
3月初め、日産自動車と取引する部品会社の幹部数名が日産本社の会議室で社長の内田誠を囲んだ。各社の幹部らは内田に対し、「部品会社とのコミュニケーションがうまくとれていない」などと詰め寄った。
 
日産元会長のカルロス・ゴーンは1999年に「リバイバルプラン」を掲げ、部品の調達費削減を進めた。一部の取引先は厳しい値引きに応じ、後の日産車の販売拡大の恩恵も受けた。しかし、今では肝心の新車販売が低迷し、部品会社の経営は厳しさを増す。内田は「調達を含め、今までのやり方を変えていきたい」とその場を収めた。
 
ゴーン時代、日産と取引が多い系列部品会社は資本提携の解消や淘汰に見舞われたが、日産への依存度が高い「隠れケイレツ」はいまだ多い。彼らが気をもむのは一段の値引きと、ゴーンが新興国などで進めた過剰な生産体制の整理の行方だ。
 
かつて日産との資本提携を解消した足回り部品のヨロズ。なお売上高の7割が日産グループ向けの隠れケイレツの一社だ。
 
「日産の稼働の延期が決まりました」。2月9日夕、ヨロズの常務執行役員、春田力は中国・広東省広州市の駐在員から電話を受けた。新型コロナウイルスで止まっていた広州工場では翌10日の稼働に向け、従業員を迎え入れる準備の最中だった。広州でつくる部品の6割以上を納める日産が延期を決めたことで、ヨロズも歩調を合わせるしかなかった。後日、広州は再稼働したが、日産頼みの構造が改めて浮き彫りになった。
 
日産向けが多いある部品会社の幹部は「日産への依存を減らすべきだとは思うが簡単じゃない」と話す。脳裏をよぎるのは米ゼネラル・モーターズGM)の新規受注を逃し、昨年に私的整理の事業再生ADR(裁判以外の紛争解決)を申請した曙ブレーキ工業だ。日産、トヨタ自動車とも取引し、GM向けの売上高比率は3割近くでそこまで高くなかった。取引先を分散する独立系でさえ厳しい。それなら日産にどうしがみつくかを考えた方が現実的とみる。
 
「内田なら直言しやすい」との雰囲気が漂うが、安易な協調路線は双方に必要な改革の妨げになる可能性もある。自動運転など「CASE」時代に向け、日立製作所系とホンダ系の部品会社が統合を決めるなど業界は揺れている。良くも悪くも部品会社を巻き込んで改革を進めたゴーンはいない。部品会社もまた岐路に立っている。
 
(敬称略)