糸井重里氏、日経インタビューより。
糸井さんは「(自分は)資本主義に挑戦しているのではなく、資本主義の流れのなかで泳ぎ方を考えている程度のことだと僕は思っています。」という。
なぜなのか。
資本主義への挑戦でいいじゃないか、と考えた。
Q上場で得た資金は何に使いますか。
A.人を雇うことに使います。
「人を金で雇う」というこの「シンプルな原則」に対する糸井さんなりの今の回答なのだと思う。
「人本位」で、これまでにない「自分たちが良いと思えるコンテンツの会社(社会)」を作る。
けれどそのためにはお金もいるし、社会の「今ある市場」でも認知されよう、と糸井さんは決断したのだろう。
多分、とても重い決断だったと思う。
そうでなければ、「手順」とか「基準」とか「規制」とか「法律」とかでがんじがらめの株式市場などのアウェーにわざわざ糸井さんが行く必要もない。
自分の目には、EUやブラジルにわざわざ興業に行くアントニオ猪木に見える。
つまりは「あなたの土俵で勝負しに」行き、その土俵で「私のやりたいことをやりますよ」という宣戦布告というかチャレンジだ。
いろんな企業が宇宙開発やAIに投資している現在だが、こうした「逆走アプローチ」を試みているのは糸井さんだけではないだろうか。
(つづく)
儲ける知性を休ませ、親切を――糸井重里に資本主義を聞く
「利益をたくさん出せればうれしいが、それが第一の目標になるとずれていくと思う。最短かつ最効率で利益を得る会社が、人に喜ばれるとは思えない」。糸井重里氏が、代表取締役として率いる会社「ほぼ日」を株式上場させる際、発した言葉だ。より利益を上げられる会社の株式を皆が買う――この仕組みは資本主義を発展させてきた。しかし糸井氏は、お金を儲けることよりも大事なことがあるというのだ。いったい、資本主義をどう捉えているのか。どんな会社であろうとしているのか。糸井氏に言葉の真意を聞いた。(週刊エコノミスト編集部/Yahoo!ニュース 特集編集部)「自分たちが使いたいモノを作る」
糸井氏は1998年にウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」を立ち上げ、個人事務所から株式会社化した「ほぼ日」(東京都港区、社員74人、2016年8月期の売上高37億円)が3月、東京証券取引所ジャスダック市場に上場した。同社は「ほぼ日刊イトイ新聞」の運営や、「ほぼ日手帳」はじめ商品販売などを行う。インタビュアーは『週刊エコノミスト』編集長、金山隆一。
―― なぜ今まで会社を続けてこられたのだと思いますか。
運がよかったからと、まじめにやってきたから。この2つだと思いますね。ウェブサイトの読み物を作るにしても、販売するモノを作るにしても、案外、労働集約型の仕事なんですよ。手をかけてコツコツやったことが皆さんに喜ばれているという形です。
糸井重里氏(撮影:武市公孝)
―― 何で稼いできたんですか。
ほぼ日手帳の売り上げが7割です。「手帳で食っている会社でしょ」と批判がましく言われることもあるのですが、そう見てくださってかまわないと思います。
―― 60万部以上売れるほど支持されているというのは、よっぽど良い手帳なんですね。
自分たちが使いたいモノを作るというのが僕らの姿勢です。生意気な言い方をすれば、「良いに決まっている」というモノを出すようにしているので、それがよかったんだと思います。
―― 残りの3割は。
ほかにもタオルやハラマキといった「モノの形をしたコンテンツ」がずいぶんあります。生活の中で自分たちが「こういうモノがあればいいのにな」と思うモノを考えて、「なぜ、ないんだろう」とさんざん話をして、僕らが欲しいモノを作っています。
2001年に発売した「ほぼ日手帳」は1日1ページ。予定を管理するだけでなく、思いついたことを書きとめたりと自由な使い方ができる点が人気を呼んだ。そのほか、ハラマキをはじめオリジナルの生活用品を企画。いずれも「ほぼ日刊イトイ新聞」のなかで商品の成り立ちや特徴を読み物として紹介すると同時に、販売している。
手帳はペンを差せば開かないストッパーや24時間の罫線など工夫が凝らされている(撮影:週刊エコノミスト編集部)
―― 商品カタログと読み物を組み合わせた雑誌「通販生活」とはどこが違うんですか。
通販生活の創業者、斎藤駿さんには僕たちを見るに見かねて、いろいろとご指導いただきました。「通販生活」は雑誌を作って、通販メディアにしようと始めましたよね。僕はメディアを作りたいと考えたわけじゃなくて、最初から、ただ「場」を作りたかった。
―― メディアではなく「場」とは、どういう意味ですか。
「ほぼ日刊イトイ新聞」のウェブサイトを作った頃から、いずれ「ほぼ街」を作ろうと思っていました。ロールプレイングゲームで主人公が動き回る「街」みたいにしたかったんですよ。建物に入ってみたらお茶を飲める場所があるというように。「ほぼ日刊イトイ新聞」は読み物中心で始めたので、今はまだ文字のコンテンツが並ぶデザインですが、街のような存在だと思っています。
ウェブサイトは「ほぼ日刊」とされながら毎日更新される(撮影:週刊エコノミスト編集部)
―― 「ほぼ街」を目指すなかで、手帳が売り上げの7割という比率は変えていきますか。
他が伸びていって、相対的に手帳の割合が下がっていってほしいとは思っています。他とは、犬、猫と人が親しくなるためのアプリ「ドコノコ」やイベントですね。
3月には東京・六本木ヒルズで「生活のたのしみ展」というイベントを3日間、やりました。自分たちと、親しい人たちでいいモノを作っているなと思う人のコンテンツを1つずつお店にして、20ほどのお店を出しました。イベントはみんなに喜ばれています。儲からないですけど。
「ほぼ日」の活動範囲はいまやウェブにとどまらない。2014年にショップとイベントスペースを兼ねた「TOBICHI」を東京・南青山にオープンさせた。2016年にリリースしたアプリ「ドコノコ」は犬と猫のための写真投稿SNSだ。
小屋のような外観の「TOBICHI」(撮影:週刊エコノミスト編集部)
―― 「場を作る」といっても、ウェブ上や店舗の“場所貸し”をして稼いでいるわけではないんですよね。
よく「ウェブサイトに広告を載せないんですか」と聞かれますよ。広告価値はあると思います。広告が面白いというのもよく分かっているんです。自分もコピーライターとしてやってきたわけですから。
広告って書いていないメッセージがものすごく多いから、読者としては面白いことは確かなんです。新聞に15段1ページの広告を打っていれば、何かこの会社はやりたいことがあるんだなって思う。広告だけのウェブサイトを作っても面白いと思います。
僕が今やりたいことと広告がフィットしないので載せていませんが、すぐに利益が欲しい株主には裏切りに見えるかもしれない。そこはこれから話し合っていかなければならないと思っています。
「僕がいなくなっても株価が下がらない会社」
3月16日、東京証券取引所のジャスダック市場に上場(写真:東洋経済/アフロ)
―― 上場した理由は。
「ほぼ日刊イトイ新聞」を始めた時から、しっかりした体制を作るということは頭のなかにありました。実際にチームが育っていって、サポーターも育っていってくれた。僕がいなくなった時にそれがなくなってしまったら、つまらないですよね。上場することでオーソライズ(公認)されたと言えるかもしれません。
―― 糸井さんは、「不思議、大好き。」「おいしい生活。」「くうねるあそぶ。」など数々の名キャッチコピーを生み出すコピーライターとして活躍していました。それなのに、どうして「ほぼ日刊イトイ新聞」を始めたんですか。
自分たちがイニシアチブをもって仕事をしていくことが本当に大事だと思ったからです。単なる下請けになって、ダメになったら捨てられるんじゃなくて。ダメならダメで責任があるけれど、うまくいったら自分たちがちゃんと利益を得て、それを応援してくれるお客さんが一緒に喜べる。そういうことがしたくて、フリーのコピーライターを辞めたんです。
先輩たちを見ていると、老化に従って上手にリタイアする方もいますが、「昔は元気だったんだけどな」と感じるような方もいます。プロダクション的に仕事をしてきた会社が、リーダーがいなくなると何となくつまらなくなっていくこともあります。
コピーライターとして活躍(1989年)(写真:読売新聞/アフロ)
―― 糸井さんがいなくなった時、「ほぼ日」という会社はどうなるんだろう。投資家やファンは不安があると思います。
そのまま同じじゃない、ということは分かっています。僕の個人的なさみしさとしては、「イトイがいなくなった方がよくなったなぁ」と言われたくもない。
「ライバルはディズニー」と冗談みたいに言っているんですが、ウォルト・ディズニーがいなくなっても、ディズニー社は機能しています。自分がいなくなった時にもっと面白くなるようなことがありうるんじゃないかと思って、少しずつ準備しています。
「ほぼ日」のロゴはグラフィックデザイナー佐藤卓さんのデザイン(撮影:週刊エコノミスト編集部)
―― 糸井さんが引退する時には株価は下がりますよね。
もし株価が下がったら、僕の仕事が足りていなかったんでしょうね。この2年ぐらい僕がしているのは、僕がいなくなってもできる仕事をどんどん増やしていくことです。
―― 上場で得た資金は何に使いますか。
人を雇うことに使います。そう言うと、営業マンをたくさん入れるのかとか誤解されるんですが、そうじゃない。本当に人が必要です。内部の人が育つためにも、「そこにかけられるお金がある」と思えるのはすごく助かります。
―― どんな人を求めていますか。
実現力がある人が欲しいですね。社内にも育ってはきているけれど、社外には、驚くようなスピード感で仕事をしたり、思いもよらないメンバーを巻き込んだり、びっくりするほどかっこいい人がいます。現役でバリバリやっている人に、どうすれば「ほぼ日」に入ってもらえるかという時、「お金はないけれど頑張ろうね」と言ってもダメですよね。
インタビュー風景。「ほぼ日」のオフィスには木がふんだんに使われている(撮影:武市公孝)
モノもお金も、相対的な価値が下がった
冒頭の「最短かつ最効率で利益を得る会社が、人に喜ばれるとは思えない」という糸井氏の発言は、上場前の日本経済新聞(2017年3月4日付朝刊)に掲載されたインタビュー記事中のものだ。記事では「人格としてその会社がいいなと思い、そこの商品を使ったり株を買ったりして応援する方向に世の中は変わっていくと思う」とも述べている。
―― 糸井さんの発言を読んで、この人は資本主義に挑戦しているんだと思いました。僕は高校生だった1982年に、糸井さんが司会をしていた「YOU」というテレビ番組(当時のNHK教育テレビ)の収録を見に行ったことがあります。バブルの前から世に出てきて、バブルも知っている人が今、そんなことを話すのは驚きでした。
「利益が第一の目標になると、ずれていく」。上場時、糸井氏の発言は注目された(撮影:武市公孝)
自分の居心地の良さ、悪さで自分の行動って決まるので、理念を先に考えて、理念に合わせて行動することは、僕はあまりしたくないんです。ポスト資本主義の話はバブル崩壊の後あたりからずっと語られていますが、僕はそういう記事を読んで、「こういう考え方もあるのか」と思う程度です。
僕が強く興味を持ったのは、岩井克人さんが書いた『会社はこれからどうなるのか』(2003年)、『会社はだれのものか』(2005年)という本です。
当時、東京大学経済学部教授だった岩井克人氏は、米国流の「会社は株主のもの」という考え方に疑問を呈し、資本主義のあり方が変わっていく時代に求められる会社の姿を模索した。「ほぼ日刊イトイ新聞」では岩井氏へのインタビューを2003年に掲載している。
「会社はこれからどうなるのか?」
「続・会社はこれからどうなるのか?」
資本主義が転換期にさしかかっていると論じる岩井克人氏の著書(撮影:週刊エコノミスト編集部)
―― 岩井さんの考えのどのような点に興味を持ったんですか。
「資本主義を構成している要素が変化している」という視点です。
1つは、今の時代は、あらゆるモノが在庫になっていると思うんです。生産能力がどんどん上がって、欲しくないモノをたくさん作るという状況です。
実はお金も在庫になっています。「投資」というと聞こえはいいですが、そのまま置いておいたらお金の意味がないから、お金に仕事をさせようとするわけです。それがものすごく難しくなっている。
モノやお金の価値が相対的に下がっているのとは逆に、人の価値はどんどん上がっています。モノを作るための労働力としてよりも、イノベーションを生み出すような人材だとか、無理かもしれないことでも実現できるよう工夫する人材だとか、そういう人が圧倒的に足りないと思います。
「何かを生み出す人の価値が上がっている」
―― お金と人の重要度が逆転しているということですか。
腕組みして「うん、うん」と言っている人はいくらでも増えました。特にインターネット上に。だけど使い物になりません。具体的に何かを生み出す人の価値はどんどん上がっています。
そのなかで「僕らがどういう仕事をして、どうやって自分を養うのか」、あるいは「自分たちが生きることをどう面白く、生き生きとさせていくのか」ということを考えていけたらいいなと思っています。だから、資本主義に挑戦しているのではなく、資本主義の流れのなかで泳ぎ方を考えている程度のことだと僕は思っています。
「何かを生み出す人の価値が上がっていると思います」(撮影:武市公孝)
―― 資本主義のもと経済成長を続けるには、人間の経済活動を支える資源として「地球が2ついる」とも言われます。
地球がもう1つ欲しいのは、それだけ消費させたいわけですよね。消費が滞っているから在庫になっているわけで、人間には生きている間にそれほど消費する力はないんですが、生産の方だけはいくらでも作れるようになった。悩ましいのはエネルギーだけ、みたいな状況です。たぶんこれは、必ずどこかに落ち着くと思います。
したいことを今はできないと思い込んでいる
―― 今の状況は、資本主義に内在していた問題が表面化しただけだということですか。
そうだと思うんですよね。
よく語られる逸話としてこんな話があります。金融市場みたいなところでバリバリ働いていた人が田舎町に出かけて、そこで釣りをしている人を見て「いいな、オレもいずれやりたいんだよ、リタイアして」と言う。すると釣りをしている人が「今やればいいじゃないか。オレはしているぞ」と言う。
つまり、お金をいくら持っているかとか、どういう地位を持っているかに関係なく、「今、釣りができるのに、できないと思い込んでいる」というのが今の資本主義だと思えるんです。
だから、仕事のなかに楽しい釣りの要素が1つは欲しいし、今すぐ釣りをすればいい。これがヒントのような気がしていて、僕はできるだけそうしたいと思って生きていますね。
資本主義のなかでどう生きる (写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)
「自分の利益を考えることを休ませる知性」
―― 僕は、自分の利益を優先する資本主義の代わりになるものとして、自分を殺してでも人を生かすという利他性がキーワードになるのかなと思っています。
「昔はよかった」というように利他性は資本主義と対立させて考えられがちですが、そうではなくて、混じっているのだと思います。つまり、「自分がどれだけ利益を得られるか」を考えることを休ませる知性が求められている。知性をぐるぐる回転させることで、知性を休ませるというか。
たとえば、ものすごくくたびれている時にサウナに行ったら、気持ちがいい。その時間は一銭も稼いでくれないけれど、行かずに仕事をし続けていたら死んじゃうというのも本当です。ポートフォリオをどう作るかだと思います。
その時、油断してはいけないのは、「昔、生きていた利他性が負けて、今の時代になった」という歴史があることです。自分がいかに利益を得るかと考える「知恵」を身につけた人間が、どうやって「昔はよかったね」と言われるようなこと、利他性を獲得するのか。バカになるのも知性ですからね、今は。
「バカになるのも知性」(撮影:武市公孝)
―― 「儲けようとする知性を休ませる知性」ですか。考えさせられる言葉です。
キーワードとして「親切」があると思います。もしかしたら自分と利害が相反することかもしれないけれど、それをした方が、この場、あるいはこの先に対していい影響を与えるという判断をする。そのことが自分にも快感になる。それが「親切」です。けっこう高度な知性だと思うんですよ。
「情けは人のためならず」というのはすごくクールな言葉だと思うんですが、翻訳としては「情けは自分のためにもなるしね」と言えばいいと思う。ただし、同じ言葉を「情けは人のためではなく、自分のためなんだ」と言い換えて攻めてくるものに負けてしまう可能性はもちろんあります。そこで負けないための何かを持っている必要があると思いますね。
上場で問われるもの
―― そんな糸井さんが資本主義の真ん中にある株式市場に上場して、どう受け止められましたか。
「どれだけできるか見てやろうじゃないか」と好意的にも言われるし、悪意を持っても言われます。「投資家は数字で見ますよ。もっと利益を上げて、株価を上げなさい、という人たちがいますよ」と。そこで「ほら、この方が利益が上がったでしょ」と言えるのが一番簡単なんですけれど、それほど簡単ではない。
「こういうやり方をしたらうまくいく」というものはないので、上場したことで今まで以上に、事業の質や規模が問われるようになったと思うんです。
それに、弱っちい動物なりに生き延びたとか体が大きくなったとか、そういうのを多少は見せないとつまらないですよね。僕みたいなことを言っている人間がやっぱりダメだったとなったら、後の人も寂しいですから。
週刊エコノミストの金山編集長(右)と(撮影:武市公孝)
糸井重里(いとい・しげさと)
1948年群馬県生まれ。群馬県立前橋高校卒業、法政大学文学部中退。コピーライター、作詞家、タレント、エッセイストとして活躍。1998年に「ほぼ日刊イトイ新聞」を開設。2016年12月、「株式会社東京糸井重里事務所」を「株式会社ほぼ日」に社名変更。68歳。日本経済と世界経済の核心を分析する経済誌「週刊エコノミスト」と「Yahoo!ニュース 特集」が共同で記事を制作します。今後取り上げて欲しいテーマや人物、記事を読んだ感想などをお寄せください。メールはこちらまで。eco-mail@mainichi.co.jp