藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

自分の動かし方。(1)

歴史学者磯田道史さんのコラムより。
表題は数学者の岡潔さんの言葉だという。

子供の頃から無鉄砲。
しかられるのも構わず、コップを倒して中の牛乳が流れる様子を見つめる。
ストーブが危ないと言われると、触ってみて案の定やけどする。
好奇心が生存本能に勝っていた。

自分はこういう人だ大好き。
自分もどちらかというと「そっち系」だ。
それにしても「武士の家計簿」が、実家の古文書の解読の賜物だとは驚いた。
形式に全くとらわれることのない「ほんまもん」だ。

発見の喜び 無心に追求 歴史学者 磯田道史さん
 歴史学者磯田道史さん(46)は映画化された著作「武士の家計簿」や「無私の日本人」で知られ、分かりやすく軽妙な語り口でテレビなどでも活躍する。子供の頃から学校の授業には興味がなかったが、知りたいことには没頭した。探究心の源は当時から変わらぬ「発見の喜び」という。

 「将来歴史で食っていくなら大学院は出ないとダメだよ」。18歳の春、故郷の岡山を出て京都の大学へ入学早々、周りの人に言われて「やってしまった」と思った。歴史家を志しながらそんなことも知らず、「京都なら古文書も史跡も見放題」と当時大学院がなかった学校を選んでしまった。

 憧れの歴史学者、速水融先生がいる慶応義塾大に入り直そうと、大学に通いながら苦手な受験勉強に打ち込んだ。といっても英語を学ぶのは単語帳ではなく、アインシュタインやE・H・カーの著作の原著。合格が目的ではなく、自分が知りたいことなら勉強する。ようやく「自分の動かし方」が分かってきた。

 子供の頃から無鉄砲。しかられるのも構わず、コップを倒して中の牛乳が流れる様子を見つめる。ストーブが危ないと言われると、触ってみて案の定やけどする。好奇心が生存本能に勝っていた。

 小学生の頃は毎日が「自由研究」状態。近所の古墳がコップ何杯分の土か調べようと模型を作ったり、セミの抜け殻を集めて様々な統計をとったり。近所の奥さん方の井戸端会議に加わり、各家庭の内情を聞き出してこっそり記録していた。「愛人の噂が出やすい家庭の年収は」なんて考えて、ほくそ笑んでいた。

 授業中も自分の研究ばかり考えていたから、学校の成績はひどいもの。授業で教わることは先生が勉強させたいだけで、まるで価値を見いだせなかった。雲の高さを計算で求めたくて、窓の外を見て立ったり座ったりしたこともある。漢字は陶芸の本を読むため、九九も研究に必要になって、初めて覚えられた。

 中学生の時、祖母に代々伝わる古文書を渡された。先祖は岡山藩支藩重臣。昔の文字が読めないので辞書を買い、「解読できるまで学校の勉強はしない」と必死に読み進めた。すると当時の武家の苦しい暮らしぶりが生き生きとわかり、歴史の授業とは全然違う世界が見えてきた。この感動が後年の「武士の家計簿」につながった。高校でも受験勉強はそっちのけで古文書に熱中した。

 慶大に合格すると図書館で本を読むために大学の近くに住んだ。

 「農業技術」「世界の歩兵操典」とかテーマを決めると関連本を数十冊集め、朝から晩まで読み続ける。そんな生活を2カ月ほど続けたある日、急に気分が悪くなり廊下で意識を失い、救急車で病院に運ばれた。貧血か酸欠か、ろくなものを食べていなかったから……。さすがに反省して賄いつきの寮に引っ越した。

 速水先生の下では古文書を集めるため、全国津々浦々をまわった。本や資料で得た知識や理論が、実際の土地や人、古文書と交わり貴重な経験だった。例えば薩摩の尚武の気風はやはり、実際に行ってみないとわからない。地域や時代に縛られずに歴史を大きく語るきっかけになった。

 こんな感じで、興味のあること以外には無頓着。学生時代はパジャマの上にズボンをはいて学校に行ったし、恋人もできない。同世代の子とは興味の対象が違い、「おじん」とも呼ばれた。そんな息子を両親は徹底して面白がってほめてくれ、こうなってしまった。

 大事なことは世界的数学者・岡潔の言葉でいう「発見の鋭い喜び」。幼い子供が石を裏返して虫を見つけた時の感動と同じ。10代でなくなる人が多いけど、私の場合は40代の今も衰えない。

 最近は明治新政府が京都に設置した目安箱に、住民が寄せた訴状を見つけた。当時京都の人々がどんな思いで明治維新を見ていたのか、読むのが楽しくてしょうがない。

 コラム「先輩に聞く」は随時掲載します。