藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

どこまでが自分らしさか。

人工知能がどんどん進化して人を超えるという。
もうすでに超えている部分もあるがそういう部分ではなく。

人の情緒とか、「勘」とか「直感」とか。
ひらめきとかアイデアとか嗜好とか。

そんなものをもコンピューターが真似てくるという。
さもありなん。

「気まぐれ」なんて偶然みたいなものだ。
だから「気まぐれ」しそうなことなんて大体予測もできる。

乱数表のように「全くの気まぐれ」は実はほとんどないだろう。
仮にあったとしても、それすら乱数の発生で真似できそうだ。

そうやっていちいち「アルゴリズム的」に見ていけば人
とコンピューターの「行動の差」は全くないように思える。

ネットに繋げて「すべてのアクションを機会に委ねて」
しまえばそれらが「自動的に、ごく正確に」動き出すのは当然のことだろう。

「AIが人を超えるか」という設問は、少なくとも機械制御においては人の勝ち目はない。

音楽が好きとか、ジムに通うとか、哲学を学ぶとか、芸術作品についても「すべてアルゴリズム」でパターン化してしまえばそれまで。
そしてようやく「人とは何か」とか「自分のアイデンティティとは」という問いに向かい合うことになるだろう。
AIの登場は、実に人に「自分とか命とかと向き合うこと」をもたらしてくれるに違いない。