藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

習い事の妙味。

ほぼ日より。
*[次の世代に]より高みをめざす。
下手の横好き、とは誰が言ったか。
糸井さんが言う通り、身も蓋もない。

みんなが「上達」をどこか夢見て師匠に習い、練習に励む。

しかしながら、どこまで練習しても「横好き」でしかないことも結構あるだろう。
まあ当人が喜んでいるのだからいいじゃない、ということで「かなり向いていないこと」を自分たちは手掛けていることもありそうだ。
さぶ。
それはともかく。

ぼくの一番好きな落語の演目は『寝床』である。

ぼ、ぼくもです。
特に桂枝雀の一席が一番好き。
ミュージシャンのライブで時に「神が降りてきた」という表現があるがあれだ。
落語にも間違いなくあると思う。(他の芸事も多分そうだと思う)
同じ噺家の演目でも、出来が全く違う。
その最高の場に会いたくて、ライブの会場に足を運ぶのだ。
 
料理人もすごいが芸人もすごい。
先日行きつけの店の板前さんにそんな話をしたら「フジノさん、なんの仕事でも同じですよ」と往なされた。(汗)
だから習い事はやめられない。
 
 

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・「下手の横好き」は、なかなか残酷なことばである。
 
なにかを一所懸命にやっている人は、
「好きこそものの上手なれ」ということばを信じて、
「いつか花開く」あるいは「おれもなかなかのものだ」
という気持ちでやっていることが多い。
よく「下手の横好きでして」などと謙遜してはいるが、
それはあくまでも謙遜であって、
「いまだって、まんざらでもない」とか、
「もうちょっとだけコツをつかんだら、すごいことに」
というような自信だか野心だかを持っていたりする。
いや、みんながそうだとは言わないけれど、
そういうことが多いんじゃないかな、とは言えそうだ。
だからこそ、「こうすれば、うまくいく」というような
テーマの本が、いつでも売れているわけで。
 
歌であろうが、ゴルフであろうが、金儲けであろうが、
モテであろうが、たくさんの人たちが、
じぶんの可能性を信じて、励んだり磨いたりしている。
じぶんも、そういう人間のうちのひとりだから、
その感じは、よくわかる。
ぼくの一番好きな落語の演目は『寝床』である。
 
で、で、「下手の横好き」である。
「好きこそものの上手なれ」と浮かれている人が、
常備薬のように持っているといいのが、
この苦い苦い「下手之横好丸」という胃腸薬である。
そんなクスリは飲みたくないよ、と言ったら、
どういうことになるかというとですね…ふふふ、
人に迷惑がかかる、のである。
思い出してみよう、任天堂のあの名物社長のことばを。
「山内さんは、経営がお好きなんですね?」と、
軽はずみに言ったら、即座にこう返ってきた。
「好きなんやない。得意なんや。
経営なんてものを好きでやったら、迷惑がかかる」
そうかぁ、と、あのときつくづく思ったなぁ。
 
人が趣味でやってるものを止めやしないけれど、
「好きでやるのは、趣味のうちまで」なのである。
ほんとに上手な人は、好きとか言ってないよね?
 
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
上手の人も、「おもしろかった」と過去形では語れるけど。