藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

普通という幻想。

*[次の世代に]平均値は問題ではない。
海外の友人が口癖のように言う。
「普通ではダメだ」「人とは違うことを言え」と。
それを聞いて自分などは「そこまでして個性を出す必要はあるのか」とか「競争、競争ばかりの前提じゃないだろうに」などと思っていた。
それはそれでともかく。
 
逆の視点で。
「自分は普通なのだろうか」というふうに考えると、結構「普通の外」にいることに気づく。
よくよく考えてみれば、誰もが“普通”に対する欲を持っていると思うけど、実は誰もがけっこう簡単に“普通”から外れてしまう。
例えば。
学校で友達との関係が崩れていじめにあって登校拒否になったり、病気になって長期欠席になったりとか。
そういうことで普通からずれていく子っています。そこまで深刻じゃなくても、親友ができないとか、友達とけんかしたりとか。
そういう悩みを抱えて生きてる子ってたくさんいると思うんです。
よくいう「普通」は実はいろんな立場の人がいろんな観点からいう「普通」の集合体なのだ。
性格も、仕事や人間関係も、個人的な性癖だって「普通」の範囲に収まっている必要がある。
だから「スーパー普通」という怪物のような存在だろう。
 
そんなに「何もかもが普通でしかない」という人なんて、ある意味気味が悪い。
「ある人が、自分の立場から見て普通」というのは参考程度に聞いておけばいい話だと思う。
 
実は自分たちはかなりの度合いですでに「普通ではない」存在なのだ。
 

ダウン症の子を持つ奥山佳恵「わが子に障害あると知った時」

2018.12.02 07:00
発達障害」に関して、親のあり方や周囲の応じ方が各所で論じられている。そんな中、自閉症として生まれてきた少年・勇太くん(仮名)とその母を取材した単行本『発達障害に生まれて』が版を重ねている。障害児を授かった親は、周辺社会は、どのように歩を進めるのがいいのか──育児や日々の生活を綴るブログで多くのファンを持つ女優・奥山佳恵さんと同書の著者であるベテラン小児外科医・松永正訓(ただし)さんが対談した。奥山さんは2011年に誕生した次男・美良生(みらい)くんが生後1か月半の時にダウン症と告げられた。
 
奥山:先生の著書を読んで、勇太くんのお母さんと私で、母としての思いが重なる部分が非常にあったなぁ、と思いました。私は初めての子育てであまり上手に対応できなかったから、2人目は笑って子育てをしようというテーマがあったけれども、違った意味で笑えることができなくなってしまったというところはありましたね。
 
松永:奥山さんが書かれた本(『生きてるだけで100点満点!』)にあった旦那さんの言葉に、ある意味、障害児を授かる本質があると思います。わが子が生まれた時、親は誰しも、「この子は学校に通い、勉強して、恋愛をして…」と夢を抱きます。
 
ぼくも子どもが2人いるんですけど、子どもができた時、普通に学校に行って、友達ができて、家内はママ友とうまくやっていって、できればちょっとぐらい勉強ができて、いい会社に就職できて、いい人と巡り会って結婚して…と思いました。いってみれば普通です、それが。だけど、そういう“普通”が障害児を授かると消えちゃうんですよね。うちの子どもはこういうことが経験できなくなっちゃうのか、と。
 
奥山:私の中では、産んだわが子は、触れ合っているとかわいいと思えるところが救いではあったんです。ちょっとした仕草とか泣き声とかにおいとか。生まれてきたことに本当に感謝をするし、心からかわいいと思えるんだけど、その子から離れた時や、寝たのでベッドに置いて家事をしている時に不安が襲ってきて。触れていると安心するけど、離れると不安になる。その繰り返しでしたね。
 
だんだんその時間が短くなってきて、心からどんな子であっても受け入れられるとなってきましたけど。
 
松永:よくよく考えてみれば、誰もが“普通”に対する欲を持っていると思うけど、実は誰もがけっこう簡単に“普通”から外れてしまう。学校で友達との関係が崩れていじめにあって登校拒否になったり、病気になって長期欠席になったりとか。そういうことで普通からずれていく子っています。そこまで深刻じゃなくても、親友ができないとか、友達とけんかしたりとか。そういう悩みを抱えて生きてる子ってたくさんいると思うんです。
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2018.12.02 07:00
 じゃあ、普通から外れた人生ってそんなにみじめかっていうと、決してそんなことはない。それでも人って生きていかなければいけない。最初に思い描いた青写真からずれていっても、それは、その子にとっての人生だし、親から見たら子どもはかわいいんですよね。
 
いろんなパターンがあって、“受容”に至るまでの道筋って人によってバラバラなんですよね。病気は受容できないけど、子どもはかわいいという相矛盾した思いをするパターンの人も結構多くて。奥山さんもそうかもしれません。
 
奥山:そうですね。
 
松永:美良生くんは美良生くんでかわいい。だけどダウン症という病気はよくわからなくて…ダウン症という病気をモンスターみたいに思ってしまう。ダウン症のお子さんを授かった人の中には、ダウン症という病気を認めないし、わが子に愛情を持てない人もいるんですね。
 
だけど人間って結局、時間をかけて、一歩一歩ステップを踏んでいって、たぶんどこかでいい意味であきらめる時がくるんですね。
 
そのあきらめというのは、投げやりになったり、自暴自棄になることとは別なんですね。質のいいあきらめの時がくるんです。それを乗り越えていくと、たぶん、お母様がたというのは、自分の中で持っていた、それまで過去に自分が築いてきた価値観を1回壊して、新しい価値基準を作り直す。で、自分の子どもに対して「あなたはあなたでいいんですよ」と認める、自分の子どもを。
 
それは、認めるというレベルよりも一段階高くて、承認を与えるような。あなたでよかったんだよ、とステージが上がっていくのかなというのが、多くのご家族を見てきた、ぼくの印象ですね。
 
奥山:個人的に思うのは、生きてる限り、人間には自己治癒力があるなということです。わが子の障害を知った時、心にけがをしたような状態だと思うんですけど、そのけがもやがてかさぶたができて、砕けた骨もいずれくっついて…。生きてる限り、けがというものは治癒されていくものだなぁと実感しました。時間がかかるけれども親になっていけるんだなぁって思いました。
 
松永:どうしてもわれわれって、普通でありたいという欲があるし、社会にも同調圧力みたいなものがあって、そういう生き方をしなきゃいけないところがある。特に日本の文化は横並びで、出る杭は打たれ、目立つと足をひっぱられる。そういう社会に住んでいますから、“普通”に対するプレッシャーって強くあると思うんですね。
 
だけど、そこから外れたからって、それは失敗であるとかみじめなことではなく、そこにもちゃんとした人生はあるんです、実はね。あまりにもぼくらの社会は、普通であることに縛りつけられてて、そこからがんじがらめになっているけど、実はそれは単なる幻で、本当は普通なんて基準はどこにもないのかもしれないですね。
 
【プロフィール】
1974年、東京生まれ。2001年に結婚。2002年に長男・空良(そら)くんを、2011年に次男・美良生(みらい)くんを出産。美良生くんが生後1か月半の時、ダウン症と告げられる。著書に、美良生くんの育児日記を公開した、ドキュメンタリーエッセイ『生きてるだけで100点満点!』(ワニブックス刊)がある。
 
松永正訓さん
1961年、東京生まれ。「松永クリニック小児科・小児外科」(千葉県千葉市)院長。2013年に『運命の子 トリソミー 短命という定めの男の子を授かった家族の物語』(小学館刊)で第20回小学館ノンフィクション大賞を受賞。読売新聞の医療・介護・健康情報サイト「yomiDr.(ヨミドクター)」で連載を持つなど、命の尊厳をテーマとした記事や作品が各所で好評。
 
※女性セブン2018年12月13日号