藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

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日経産業よりビズリーチ南氏のインタビュー。
「雇用が流動化し、新しい働き方が求められる時代にこれはどうなのかと。転職情報を見える化し、みんなが自ら働き方やキャリアを選び、企業も人材を主体的に取りに行けないか。そう考えたのが創業の理由です」
うむむ。
人材サービスとか転職支援とかいうと、どうも「人転がし」という印象がつきまとうのは、昔の落語のネタを見ても明らかだ。
つまり何か「新しい付加価値」を生むのではなく、右から左に人を紹介する手数料商売にすぎない、と思われていたのだと思う。
――逆に言えば社会の課題、つまりビジネスチャンスはまだまだある?
「その通り。働き方改革や人手不足もそう。生産性向上のため、企業向けに人材データをクラウドで管理するサービスを始めました。最近は事業の譲渡を検討する経営者と買い手の企業をつなぐサービスも手掛けています。経営者不足に悩む中小企業は本当に多い」

 つまり自分の「仕事人としての情報」を登録しておく。

さらには仕事以外の部分も登録しておいてもいいだろう。
そうすれば、誰かが(あるいはシステムが)自分を見つけてオファーがくるかもしれない。
逆に、やりたいことがあれば、自分がオファーする側に回ってもいい。
透明化されていれば善意の輪が広がるだろう。
amazonではないが、完成した品物の流通は佳境を迎えつつあるが、人材の市場はまだまだ「流通過程に乗っているもの」はほとんどないことは注目に値する。
自分の「自分らしさ」もこれからはどんどんと流通していく時代になりそうだ。
自分の"何か"を磨いておくに越したことはないだろう。
 
ビズリーチ南氏「100年変わり続ける会社つくる」
2019年8月3日 4:30

NIKKEI BUSINESS DAILY 日経産業新聞

人材サービスのビズリーチ(東京・渋谷)が急成長している。テレビCMで知られる会員制転職サイトに加え、最近は企業の生産性向上支援や、中小企業などの事業承継支援サービスにも乗り出した。創業から今年で10年。人材大手がひしめく中、新たな市場を切り開く秘訣は何か。創業者の南壮一郎社長に聞いた。

働き方の選択肢広げる

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
みなみ・そういちろう 1999年米タフツ大卒、米モルガン・スタンレー証券入社。2004年に「楽天イーグルス」の立ち上げに参画。09年ビズリーチを設立し、社長に就いた。海外生活が長い帰国子女で、自らを「マイノリティー」と指摘する。趣味は夫人との海外旅行。南極への新婚旅行など、これまで27カ国を訪ねた。好きな言葉はマハトマ・ガンジーの「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい」。43歳。
――転職サイトの会員数や導入企業数が伸びています。急成長をとげてきた理由は何でしょう。
「私が一番大事にしているのは事業を正しくつくることです。事業はなぜ存在するのか。世の中の課題を解決するためですよね。社会が構造変化する際には必ず課題が存在します。その課題を発掘し、磨いていく。世の中に必要とされている事業であれば受け入れられるはず。だからなぜやるのか。どうしたいのか。志の部分が重要です」
――人材市場での課題とは何だったのですか。
「小売業界と同じですよ。小売りでは売りたい人と買いたい人の間の流通が力を持ち、互いの顔が見えなかった。それがネットの普及でアマゾンや楽天が出てくると、直接売り買いできるようになったわけですよね。その点、人材市場はなお紹介会社などが強く、可視化されていなかった」
「雇用が流動化し、新しい働き方が求められる時代にこれはどうなのかと。転職情報を見える化し、みんなが自ら働き方やキャリアを選び、企業も人材を主体的に取りに行けないか。そう考えたのが創業の理由です」

人生100年時代」見据える

――それが転職市場の情報を公開して、企業が求職者に直接アプローチできる「ダイレクトリクルーティング」ですね。
「ええ。ITの進化で課題解決の手法はいくらでもあります。我々はあくまでプラットフォーム。採用したい企業だけでなく、人材紹介会社などに利用してもらってもいい。求職者は登録しておけば、さまざまな企業からアプローチが来る。これなら便利ですよね」
――人生100年時代になると、転職は当たり前になってきますね。
「転職だけではありません。いざ100歳まで生きるとなると、人生のつじつまが合わなくなることばかりですよね。私が就職した20年前は60歳まで働けばあとは年金で国が面倒見てくれると言われましたが、仮に80歳まで働くならあと37年。20年頑張って振り出しに戻った(笑)。社会保障の問題も含めて、日本の雇用制度がもたないのは当然でしょう」
――逆に言えば社会の課題、つまりビジネスチャンスはまだまだある?
「その通り。働き方改革や人手不足もそう。生産性向上のため、企業向けに人材データをクラウドで管理するサービスを始めました。最近は事業の譲渡を検討する経営者と買い手の企業をつなぐサービスも手掛けています。経営者不足に悩む中小企業は本当に多い」

累計の譲り受け企業数3300社

――事業承継の成果は出ていますか。
「まだ一年半ですが、累計の譲り受け企業数は3300社を超えました。必ずしも会社を売らなくてもいいんです。登録して会社の市場価値を知るだけでも意義はある。いわば健康診断と一緒です。現状を把握してどう手を打つか。経営の選択肢が広がる。会社の売却はネガティブなことではありません。雇用も資本も流動化してこそ活力が生まれる。日本もそんな社会にならないと」
――急成長により、社員数は1500人を超えました。かじ取りが大変ではないですか?
「創業者は腕力で起業する人が多いと思いますが、私の場合はITも人材市場も全く知見がなかった。同じ思いを持つ初期メンバー6人で役割分担し、チームで立ち上げました」
「私の狙いは事業をつくり続け、社会にインパクトを与え続けること。その実現のためどうすべきか。会社の規模が大きくなってきた時に真剣に考え、5年前に世代交代しました。社内組織を思い切って既存事業と新規事業にわけ、ビズリーチなど既存事業を後任に委ね、私は新規事業に専念することにしたんです」

サイバー藤田氏の教え「会社にいるな」

――任せることに不安はありませんでしたか。
「会社には創業期、成長期、継続発展期があり、それぞれ経営手法が違います。人によって得意不得意もある。私が得意なのは新規事業の立ち上げ。ならほかは任せたほうがいいと。最初は経営会議にも関与しましたが、今は取締役会で議論するぐらいです」
「やらないことを決めるのも社長。私は本社にもいません。近くの別ビルにいます(笑)。これはサイバーエージェントの創業者の藤田(晋)さんに教えてもらったんです。『社長がいたら文句言うじゃない。だからいない方がいい』って」
「でも効果は大きい。社員1000人規模の事業を経営できるわけだから、若い優秀な人が集まってきます。経営って決断のスピードと、判断の正確さのかけ算なんですよ。体育会サッカー部が長い私は目的を定めたら、それぞれが役割を全うするやり方が合う」

「私はマイノリティー

――新しいことに挑み続ける経営哲学の原点は何なのですか。
「私はカナダで育った帰国子女で、大学や就職先も米国でした。周囲とは違う、いわばマイノリティーです。新しい環境にも、業界が変わることにもちゅうちょしないのはそれが底流にあります」
楽天イーグルスの立ち上げ時の師匠だった三木谷(浩史)さんの影響も大きい。まず学んだのは事業をやる際の大義や志の大切さです。公共性の高いプロ野球で地方の活性化につなげたいと。東北は東日本大震災を経験しましたが、復興の旗印として地域が団結し、次第に変わっていったのを見て身が引き締まる思いがしました。そうした事業の志を今度は社員に伝えたい。それが自分の役目です」
「もう一つ学んだのは世界がすごいスピードで変化する中、変わり続けるため学び続ける姿勢です。100年続く会社も素晴らしいですが、100年変わり続ける会社をつくりたい。その方が楽しいし、面白いですから」

若手育成術に期待

 
 帰国子女で海外生活が長く、米金融大手に入社。プロ野球球団立ち上げに参画したかと思うと人材会社を起業する。型にはまらぬ経歴を見れば「マイノリティー」と自認するのも分かる。
 そんな南氏の特徴は新しい環境や出会う起業家から貪欲に学ぶ点だろう。楽天イーグルス創設時代には、師匠と呼ぶ三木谷浩史氏(楽天社長)から事業をやる際の志の大切さを学び、上司と呼ぶ当時球団社長の島田亨氏(人材派遣インテリジェンスの共同創業者、現USEN-NEXT HOLDINGS副社長)からは経営者の人としての資質を学んだという。起業家の薫陶を受け、自らの経営に生かす。日本でも起業の輪の広がりを感じた。
 驚いたのは主力事業の経営をあっさり若手に譲ったことだ。経営の得意分野を冷静に見極め、自ら「立ち上げ屋」に専念するのはそうできることではない。新事業を次々若手に任せるのはサイバーエージェント流にも似る。伸びるスタートアップから起業家予備軍が次々育つ。そんな環境を期待したい。(日経産業新聞編集長 宮東治彦)
日経産業新聞 2019年7月29日付]