*[次の世代に]自分の価値観を持つ。
東大医学部出身の脳外科医と、大学に進まず起業で成功した「開成塾友」の二人が医療情報提供の会社「MEDLEY」を立ち上げたという。
その理由が重要だ。
だが「日本の医療界は危うい。崩壊するのではないか」という強烈な危機意識を持つようになった。国民医療費が年間40兆円に膨らむなか、いつまで国は財政負担できるのか、「国民皆保険」は維持できるのか――。「海外に比べて医療・保健に対する1人ひとりの意識があまりにも希薄なのではないか」と指摘する。
(中略)2人は医師と起業家と全く別の道を選んだが、ネット上で再会、「もっと患者も医師も納得できる医療を目指すべきだ」という点で意気投合した。
こうした「バイアスに捉われないまともな思考」と「自分の意思」を素直に行動に移せることが、これからの若者の特権だ。
というか昭和の高度成長期と"失われた平成"を経て、ようやく日本人のメンタルも毒が抜けてきたのだと思う。
既存の教育や競争社会で優秀な人ほど「そこから抜ける」ことに怯えるようになる。
「過去の成功体験に縛られる」という奴だ。
自分のように成功体験のあまりない人はまだましだが、むしろエリートと呼ばれるような人には聞いてもらいたい。
もっと自分の思う通りに動いていいのだと。
しかも早く、若いうちに行動しよう、と。
(つづく)
開成・東大卒の脳外科医 なぜベンチャーに メドレー代表取締役 豊田剛一郎氏
2017/1/10
医療ベンチャー、メドレー(東京・港)の代表取締役の豊田剛一郎氏(31)。日本医学界の最高峰、東京大学医学部卒の脳外科医だったが、エリート医師の道を捨て、コンサルタントを経てベンチャービジネスの世界に入った。しかもメドレーには東大医学部の同窓生4人のほか、企業や医療現場で活躍する有能な人材を次々誘い、「スーパー頭脳集団」をつくり上げた。豊田氏は起業家に転身し、何をやろうとしているのか。
豊田氏は私立開成高校(東京・荒川)から東大理科三類に合格して医学部に進学。聖隷浜松病院(浜松市)、NTT東日本関東病院(東京・品川)など国内有数の中核病院で脳外科医として腕を磨いた。米国の名門病院にも勤務し、誰しもが認めるエリート医師となった。
■日本の医療現場は非効率的
だが「日本の医療界は危うい。崩壊するのではないか」という強烈な危機意識を持つようになった。国民医療費が年間40兆円に膨らむなか、いつまで国は財政負担できるのか、「国民皆保険」は維持できるのか――。「海外に比べて医療・保健に対する1人ひとりの意識があまりにも希薄なのではないか」と指摘する。
そんなマクロ的な問題以上に「医療現場は非効率的すぎる。救急病院の認可を得るため、都内に毎晩何百人という脳外科医が当直しているが、実際は大半の医師が必要とされていない。一方で地方では医師不足が深刻。医療現場は規制でがんじがらめ、矛盾だらけで、とにかく効率性に欠く」。先輩医師にそう問うと、誰もがその通りだという。ただ「とはいえ患者と向き合うのが医師の第一優先 」と問題解決には消極的だ。
しかし、豊田氏は耐えられなくなった。日本最難関の東大理三に合格した豊田氏は「常に最小限の努力で最大限の効果を出す、勉強の効率性を追求してきたのに、医療界は非効率でいいのか。患者さんにとっても医者にとってもいいことではない」。
■ネットで開成の同級生と再会
メドレー創業者で社長の瀧口浩平氏
そんな時、フェイスブック上で昔の同級生と再会した。メドレー創業者で現社長の瀧口浩平氏だ。「いわゆる塾友ですね」。2人が知り合ったのは小学校の進学塾。ともに開成中学に合格したが、瀧口氏とは音信不通になった。同中学を突然やめ、高校は国立の名門進学校、東京学芸大学付属高校に進学したからだ。
瀧口氏は独自路線を歩む。高校3年生の時、今後の進路を検討するなかで大学進学よりも事業に関心を持ち、17歳の時に起業し、大学には進学しなかった。その後、メドレーを設立し、医療介護の求人サービスを開始した。2人は医師と起業家と全く別の道を選んだが、ネット上で再会、「もっと患者も医師も納得できる医療を目指すべきだ」という点で意気投合した。
豊田氏は米国から帰国後、「一度、病院の外から医療界を見てみたい」とマッキンゼー・アンド・カンパニーにヘルスケアのコンサルタントとして転身した。そのころ瀧口氏は、求人事業が軌道に乗り、さらに医療に切り込むサービスの開発を検討していた。そのためには「医療の専門知識を持つ立場から事業を支える存在が必要だ」と考え、豊田氏に共同代表とならないかという話を持ちかけた。そして豊田氏は、「瀧口と話して第2の創業をしようと」決意し、2015年2月にメドレーの代表取締役に就任し、共同の経営者となったのだ。
「医療の課題を解決する様々なサービスを提供するのが目的です。起業家になりたかったのではなく、医療の世界を変えたい、効率化したいから挑戦しました。失敗したら、また医者に戻ればいいという甘い気持ちで挑んでいない」と豊田氏は話す。わずか1年余りの間に、周囲で同じ理念を持つ人材を次々にメドレーに誘った。そして相次いで新規事業を立ち上げた。
■DeNAとは違う
まず、オンライン病気事典「MEDLEY」という医療メディアを立ち上げた。1400以上の病気情報のほか、約3万点の医薬品や約16万件の医療機関情報を集約。約500人の医師とのネットワークを構築し、医療情報を日々更新している。
ディー・エヌ・エー(DeNA)の医療情報サイトのコンテンツの信頼性が問われ、社会問題化したが、豊田氏は「正確な医療情報を提供するのは極めて困難です。明確なエビデンス(証拠)が必要ですし、世界の医療情報は日々更新されていきます。医師によっても治療に対する考え方に違いがある。ある有名なサイトの医療情報は90%に間違いがあるとの指摘もあります 」という。
しかし、メドレーは多くの医師とつながっているだけでなく、社内に複数の医師を抱えている。「正確で客観性の高い医療情報を提供できる。そこが最大の我々の強みです」と強調する。
さらにメドレーは、医療機関の遠隔診療を支援する、オンライン通院システムのソリューション販売も開始。病院向けのビジネスを本格化している。この2つのサービスを支える人材は、東大医学部の同級生と後輩だという。両者とも医者としても有能な人材だ。「大学のなかでも2人ともすごく能力のある男たちだった。僕と同じような問題意識を持っていた」と豊田氏はいう。
■「東大・開成人脈」をフル活用
開成中学・高校(東京・荒川)
日本の医学界の頂点に君臨する東大医学部。その卒業生は東大以外にも他の医学部の教授や大規模病院の幹部医師として迎えられるケースが多い。順当に出世すれば、まさに「白い巨塔」の主になれる特別な立場だ。
そんな「金の卵」たちが簡単に起業に走ると思えないが、豊田氏は「東大の医学生の親が医師というのは比較的少ない。医学領域の研究や医療にこだわっている人は少なくないが、医者という職業そのものに固執する人は意外と少ないかもしれない」と話す。
メドレーの社員はまだ115人。第2の創業から1年余りで、「業績の数字は未公表」という企業規模だ。しかし、その幹部人材は東大や一橋大学、早稲田大学卒の人材がひしめく。グーグル、リクルートなどの企業で活躍したキャリアを持つ社員も多い。一昔前であれば、ベンチャー企業の経営には参加しなかった面々だろう。
「僕がなぜ医者をやめたのか、周囲の人間も徐々に理解してくれるようになりました。我々はお金もうけ以上に、医療を通じて社会に貢献したい。本気です」と強調する豊田氏。スーパー頭脳集団、メドレーは日本の医療を変えるのだろうか。
(代慶達也)