脱サラ、と聞くだけでもはや懐かしいけれど。
ミスのない仕分けをする。
病気の豚を泣き声で見分ける。
顧客の質問に合わせた回答を提示する。
どれも「思いつき」ではない。
"社会の問題の解決"である。
「起業できるかどうか」「起業したい」という風に考えるから難しいのだ。
「このアイデアは社会に求められているか」を起点にすれば、起業の種に迷うことはなさそうだ。
あってもなくてもいいが「ある程度の手数料は稼げるね」というアイデアは、早晩行き詰まる可能性があると思う。
「いやー、どうしても事業にしろと言われまして…」というのが新しい。
起業はそれ自身が目的ではない、ということは心に留めておきたいことだ。
脱サラ起業への備え方、先行例に学ぶ
使われる身から使う立場に――。もちろん挑戦は結構。しかし、慌ててはいけない。戦略なき挑戦は失敗に終わるケースも多い。
まず大切なのは事業の核となる技術の仕込みと事業化に向けた準備だ。
■5年かけて仲間づくり
タクテックの侘美好則(たくみ・よしのり)会長 1971年神戸大経営卒、ダイエーへの入社を心に決めていたが、椿本興業の入社試験で応接室に通してもらって面接を受け、そのまま入社を決めた。2007年に起業。70歳になったのを機に社長職を譲って会長となった
99.999%(ファイブ・ナイン)――。タクテック(東京・文京)会長の侘美好則(70)が開発した物流システム「ゲートアソートシステム(GAS)」の仕分けの正確さだ。物流施設で中核となるのは届け先ごとに商品を仕分ける仕事。その正確さが生命線だ。侘美のGASがミスする確率は10万分の1。1万分の1という業界標準を一気に打ち破った。
「ポイントは『NO(ノー)』の法則」と侘美。無数にある仕分け箱の中から、商品を投入すべき箱の蓋だけがパカッと開く。しかも1つだけ。隣の箱の蓋は閉まった「NO」の状態だから基本的にはミスは発生しない。
これまではランプが点灯した箱を選んで商品を投入する方式だった。たくさんの中から1つを選ぶ「『YES(これだ!)の法則』だった」。これだとランプが点灯した箱の隣に投入するリスクが残る。しかも迷う。1時間当たりの仕分け量は450個程度だ。
侘美が開発したシステムの仕分け量はそれまでの2倍の約900個(1時間)だ。引き合いは順調に増えた。
起業を思い立ったのは53歳の時。椿本興業の物流部長時代だった。役員の芽もあったが、取引先の大手化粧品会社の一言が侘美を変えた。「もっと効率のよい仕分けシステムをつくってくれないか」。椿本興業は商社。「つくれる」はずもない。「それなら……」
Hmcomm(エイチエムコム)の三本幸司(みつもと・こうじ)CEO 「手に職を」との父の教えで日本工学院専門学校に。1986年卒、富士ソフト入社。技術畑を歩み、最後は新規事業の責任者として役員に。「新規事業は巨艦には向かない」と2012年に起業した
仕掛け人は Hmcomm(エイチエムコム、東京・港)の最高経営責任者(CEO)、三本幸司(53)。「うまくいけば熟練者と同じか、それ以上の確率で異常な鳴き声を聞き分けられる」
ブタは風邪など呼吸器系の病気を患うと体重が増えず、出荷が遅れる。豚舎で同居する他のブタに感染すると養豚業者には致命的。AIで聞き分けられれば「経済的効果は計り知れない」。
三本はもともと富士ソフトのエンジニア。役員まで務めたが、「いくらいいアイデアがあっても大企業では事業化するには時間がかかり過ぎる。スピードが足りない」。12年に独立した。
独立の決断から実行までに2年を置いた。「画像を認識する技術は世の中に山ほどあるが、音声認識はまだまだ。事業化に成功すればビジネスチャンスは大きい」。アイデアを温めながら入念に運転資金を手当てした。
退職金を元手に事業を起こし、切り崩しながら事業を続けるのは精神的にきつい。複数の企業とコンサルティング契約を結び、生活費に食い込まないように月々50万円程度の収入が確保できる体制を整えた。
産業技術総合研究所の技術移転ベンチャー制度を利用し、産総研の音声認識技術を取り込んだ。「Vコンタクト」として事業化し、コールセンターに提供するビジネスモデルを立ち上げた。
顧客の問い合わせ内容をAIが自動で認識し、的確な解答を示したマニュアルをオペレーターにさっと示す。システムは当たり、オペレーターが苦情ばかりで定着率が低いコールセンターから引き合いがどんどん来た。
シニア起業のコンサルティングを手がける銀座セカンドライフ(東京・中央)によると、「起業が成功するポイントは(1)できること(2)やりたいこと(3)お金になること――のすべての条件を満たしていること」という。この3つの条件が整うまで準備を進めることが必要だとしている。=敬称略
(企業報道部 前野雅弥)