藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

現代の蹉跌

コロナの蔓延で外出制限も強化されたり緩んだりと迷走している。
もし事態が深刻化して「自宅から外出厳禁」となれば、自分たちは生活ができない。
万一食糧供給が万一ストップすれば万事休すだ。
 
そして自分たちは「そんな風に」都会暮らしをしてきたのだと気づく。
自分一人でみれば、米つぶ一つ作れない。
家電製品など逆立ちしたって製作不能である。 
 
現代のそんな「徹底分業」が当たり前だったところに冷水を浴びせられた格好だ。
みんなの自宅にある程度の広さの畑と家畜小屋があれば、外部の人たちと触れ合わずに過ごすことができるが、都会はそれとは正反対の構造になっている。
 
さらには企業同士で、世界中にサプライチェーンを分散している現代では、「人やものの移動」ということそのものに根本的な考え直しが必要なのではないかと思う。
 
日本にしても、インバウンド観光客が4000万人だその倍だ、と騒いでいたのは果たして適切な目標だったのだろうか。
 
買い物目当てに海外に行くのではなく「その地方の文化にゆっくり接する」くらいのスピードで物事は考えた方がまともではないだろうか。
 
この度は、人の高速の移動とともに、ウィルスも高速で移動したことを忘れてはならない。