藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

サスティナブル(2)

*[サスティナブル]備えの程度。

震災や台風、そしてコロナウィルスなど、何かがあるたびに自分たちは「上を下への大騒ぎ」している。

そしてまた驚くほどその記憶が薄い。

史上最大の惨禍といえば第二次大戦だろうが、それも今リアルに伝えられているかとい

うと実に怪しい。

靖国神社とかメモリアル戦艦などを見学に行くととても再軍備とか核保有とかいう気にはなれないだろう。

それはともかく。

科学的には江戸以前から、周期的に起きる大地震がそろそろだというので「ある程度の備え」はしておくほうがよさそうだ。

ではどの程度の準備が必要か? というところが悩ましいが街中なら二週間分の備蓄(食料とトイレ)とバッテリーというところらしい。

今度はコロナ時のようにエッセンシャルワーカーも配置できないだろうし、上下水道もしばらく止まるという情報もある。

都会暮らしは「多種のサプライチェーンの集合体」なのでいろんなところで切れやすい、ということも分かった。

そしてチェーンが切れると、街中にいても途端に日用品が不足する、ということも何となく体感した。

最低限の線を狙い、けれど自分で暮らしが守れるだけの備えをしよう。