藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

破壊のギフト

*[次の世代に]辛苦の後に。
今年もあと3日。
この年明けはコロナに始まり翻弄されっぱなしだった。
そして来年はさらなる混沌が待っているかもしれない。

そしていずれは明けるだろう「コロナ後の世界」は治療薬ができ、ウィルスへの恐怖が弱まり、ゆっくりと元へ戻るに違いない。

そうなったときには、今まで何年も我慢してきた自分たちのいろんな行動や、やりたかった事が「一気に」解放されてくるのではないかと思う。

つまり不安が強かった分、それがなくなり始めた時点でプラスに向かう力は大きいものになるのではないだろうか。
趣味に遊ぶとか、家族や異性と過ごすとか、友人たちで過ごすとかいうことの価値が、「それまで」とは違って見直されるのではないだろうか。

そしてその時にこれまでと変わっているのは「実は要らなかったもの」が再び復活はしないことだろう。

それは"通勤"であったり"定例会議"であったり、"巨大なオフィス"であったり"管理職"とか。
そしていらなくなったものの代わりに、よりやりたかったことに自分たちの時間が振り向けられるのではないだろうか。
 
そんな新しい時代に移るために、コロナは「禊」になったと後から語られるような気がする。
そして最も大事な教訓は「そのくらいのショックがなければ自分たちは変われない」ということだろう。
 
皮肉にもコロナからイノベーションを学ぶことになった一年だった。