藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

ストレスあらばこそ

*[次の世代に]コロナが考えさせるもの。

鴻上尚史さんの言葉でもある「十年先の自分から今を見る」ということを、改めてコロナの騒動だから考えている。

 

コロナが「その後の生活を変える」とよく言われているけれど、「じゃあコロナがなかったらどうなのよ」と思う。

人間はやはり「激烈なストレス」がなければ大きくは変われない生き物なのかもしれない。

 

ということが真理だとすると、では「常に変化し続けたい」という思いがあるのなら、適切な頻度で「激烈なストレスを自らに与える」という自虐的な仕組みが必要になる。

 

それでそうしたシステムは、すでに多くの習い事で「求道」という名前で体系化されているので、なるほど「道」の世界は奥深く真っ当な理屈で成り立っているのだと感心する。

 

それはともかく。

十年後には六十後半になる自分から、今の自分を見れば何というだろうか。

実は二十代の頃から考えて、ずっと「十年先の自分」が放つメッセージは常に「時代の流れを感じて動けよ」ということに尽きると思う。

 

その流れに応じてお金を稼ぐのもよし。

新しいサービスや物を開発するのもよし。

困るだろう人の役に立つのもよし。

その時代の中で「自分のやってみたいこと」を感じる能力が一番重要だと思う。

「今流行っているから」「今これで稼げるから」という"思考のない理由"で惰性的に日々を過ごすのが一番もったいないことだと思う。

他人の言説ではなく「自分なりに感じる時代の流れ」こそが一番大事な感性であり、それを感じて「自分なりに動く」のが後悔のない過ごし方ではないだろうか。

 

さてさて、今の流れはどうだろうか。