藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

コロナの暴露(2)

*[経営]管理とか報告とか。
今の社会に広く普及している「管理」というのは、およそ人や物を監視し、管理していわば「見張り」のためにあるようだ。
自分はこうした「監視の目」が嫌いで、つまり人から管理されるのとされないので「働きぶりが違う自分」というのは不正義であると思う。
そんなことに働く時間を費やすのは「自分の時間」がもったいない。
どうせ働くなら全力で行けよ、と言いたい。
社会に出れば、ほとんどの人がこの「管理システム」の下に入る。
報告書とかタイムカードとかその他うんうん…
管理が必要で、しかもそれを「時間」で縛ってしまおうと言うシステムならば、それこそロボットと変わりない。
だから自分は起業する前から、「管理しない仕組み」が最高のマネジメントだと思ってきた。
現実の運用はそれほどうまくいかないけれど、プロフェッショナルたちが働く専門家の集団などでは、誰も自分たちを特に時間などで管理していないことが多い。
 
時間で人管理をし始めたから、だから「時間だけを過ごす人」が増えたのではないだろうか。
出発点が間違っていたのではないかと思う。
時間ではなく、質がすべて、ということをリアルに実現できれば、自分たちがこれまで縛られてきた「時間と言う軛(くびき)」をついに外せる時が来るのではないだろうか。
ようやく社会はこれまで実現できなかった「質を問う」時代になっていくのではないだろうか。
コロナをそんな契機に考えてみたいと思う。