藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

最後の晩餐とか

*[次の世代に]終わりを意識しないこと。
ある先輩に聞くと、70歳を過ぎると1日に何度も「あと何年生きるだろう」「あとこの場所に何回来られるのだろう」というようなことを考えるらしい。
 で、50代後半の自分ですら、日に1度はそういったことを考えるから、どうも年とともに「そういうこと」を考えるのが自分たちの特徴らしい。

若いころには、むしろ「そういうこと」を考えないのが当たり前だから、若い人にはそういうことを知っておいてもらってはどうだろうか。

 若ければ「終わり」を意識することはない。

だから若い。

だから若くして「終わり」を意識できれば「違う燃焼のしかた」ができるのではないだろうか。

「若さの過ごし方」と「若さの感じ方」を分けて意識できれば、若い時代がさらに充実して過ごせるような気がする。

 

若いからなんでも無駄に、自堕落に過ごすことができる、というのは実に若者らしいが、歳を取ってみると何だか勿体ない気がするのです。

冒頭の。

70才を過ぎて「毎日終わりを考える」のだとしたら、そんな気持ちは若者に表明しておくべきではないかと思う。