藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

接点を想う

*[次の世代に]老いの予測。

人生100年時代といわれ、それでももう半分を過ぎた自分。

よく定年後や老後を考えろという話を聞くがどうもリアリティがない。

自分の「これから」は「これまで生きてきた時間をもう一回」くらいの時間の長さだが、今度はもう成人している自分なわけで「なにぶん、生まれたてなもんで」とか「社会に出て勉強させてもらってます」とかいえるステータスにはない。

 

というかもはや「社会経験」ってやつも終盤に差し掛かっているくらいなので、これまでの"くねくね道"はともかく、これまでの経験をもって「これからどう生きんのさ」という問題と対峙しているような気がする。

「老後まで」と「老後から」をあまり分けて考えたことはないが、どうも先輩たちの様子を見てみると「いつまで経っても初めての経験」が続いているようなフシもある。

ということは、賢く考えてみれば「多分自分もいつまでもそんな感覚で老いていく」のに違いない。

そしてどうも老後の一番の問題は「社会とのかかわり」にあるようだ。

どれだけ財産があっても、歳とともにその価値は失われていくらしい。

お金は「使わなければ意味がない」ということだろう。

いい歳をして貯蓄に走る、というのは賢明なやり方ではなさそうだ。

それはともかく。

社会とのかかわりがなくなった人ほど孤独になり、活力も失われていくように見える。

老いてまず健康でいて、「いかに社会とかかわり続けるか」を最大のテーマに考えておくのがいいのではないだろうか。

これは若い時から心づもりしておいていい話だと想う。