藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

これからの五十代。

(10)五十代は「遺書」を書く時代
いつまでも、つい昨日社会人になったような気分がある。
肉体はともかく、精神的に昔とそれほどの差異はあるだろうか。
著者は言う。

(今五十歳の人であれば)
冷戦の終結もバブルの発生から崩壊も、リーマンショック湾岸戦争も、9.11テロも東北の大震災も、世の中の価値感が大きく変わってきた過程をつぶさに見てきたはずです。(抜粋)

戦争や終戦は知らない。
けれど、それなりにもう経験してきているのである。
そんなつもりはなかったけれど。
(だから戦中派の人の話を今聞いておくことはとても重要に違いない)
そんな自分の経験を「あえて伝えること」を意識するのは今の五十代以降の責務なのである。
もう自分たちは「伝承する側にいる」という認識は、後輩たちへのお説教ではなく、持たねばならない意識なのだ。
うっとおしがられないように、必要なことは伝えていかねばならないのだと思う。

(11)五十代こそ起業せよ
著者は、これまで得ている経験と将来性から五十代こそリスクを恐れずにチャレンジせよ、と提言している。
老後の資金をいたずらに心配して保守に走るのではなく、むしろ今の四十歳以下にけしかけるばかりではなく、自ら動け!というメッセージ。
これから先には、得体のしれない不安や貧困が待っているに違いない、という怯えではなく「少しは未来を自分で切り開け」という激励である。
どこかもう将来については老齢化してしまっている自分たち世代は、もう一度「これからの将来性」について先入観なしに再考してみる価値があるだろう。
だってその方が老後の資金計画ばかり心配しているよりよほど楽しい。
(つづく)