藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

継続の動機

*[ウェブ進化論]苦労と成長の蜜月。

いつの時代にも筋トレを指向する人は一定数いるし、習い事や学問を学び続ける人も多い。

筋トレは、一見辛い運動をして、その後に訪れる筋肉の成長を喜びにしている。

つまり「しんどいこと」と「その見返り」をダイレクトに楽しんでいるのだろう。

「苦労の成果が目に見える形で現れる」からモチベーションが保ちやすいのだ。

 

これは習い事や学問でも同様で、筋トレほどではないが「徐々に上達している」とか「造詣がだんだん深くなる」ということが、その先の継続のための原動力になっている。

筋肉量であれ、技術であれ知識であれ、自分たちは「成長があるかどうか」を相当に重要視している生き物のようだ。

それがあれば相当頑張れる。

そして「それ」がなければ、毎日は灰色に見えるだろう。

 

仕事でも同様で、日々の苦労やプレッシャーが「何かの成長になっているかどうか」を考えてみて、「さらなる継続の動機」を持てるかどうかを気にしていたいと思う。

 

いろんな苦労やブレッシャーは、必ず何かの役には立っているものだが、それがどう考えても"成長の糧"になっていないとすれば、仕事とか環境を変えるタイミングなのではないだろうか。

 

「成長がないこと」ほど辛くもったいない時間のない使い方はない。