*[次の世代に]海月のような。
本書の中に「クラゲのような人生を送っていないか?」いう一節がある。
意思を持って動く魚たちと違って「ただふわふわと海を漂う」。(海の月とは風雅な当て字だ)
で"自分はクラゲが魚か"と問われると、少しクラゲに近いところもあるなぁなどと思う。
外部の流れにまったく流されずに我が道をゆく、とできればいいが雨が降ったり嵐が来たり、ピタッと風が止んでしまったりするとやはり影響は免れない。
この本の内容は、仕事に悩む若者へ向けた著者からの渾身のメッセージなのだが、それなりにがんばって泳いでいるつもりでも、実はただ大きな海流に流されてしまい、思ったほど行きたいところに近づいていなかった…というのはよくある話だろう。
そんな浮浪雲のような生き方だって悪くはないかもしれないが、人生の最期に振り返ってより納得性が高いのは「自分の意思で動いてきた」と思えることなのだ。
と、ここまで書いてそんな「クラゲのような生き方」はそれほどいけないことだろうか、とも思う。
なので学生さんたちには、「大人たちの生き様には"クラゲ"のような生き方とか"サカナ"のような生き方とか、そんな区別もあるんだよ」ということを早めに伝えておきたい思うのだった。
もしかしたら今は「クラゲ選択」の子供たちの方が多いのかもしれない。