藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

それが目的

*[ウェブ進化論]悩むのが当たり前。

多分史上最も豊かな時代にいて、自分たちは(恐らく)最も不安を感じているらしい。

人間の「豊かさと満足度の関係」というのは永遠に縮まらないのかもしれない。

 

農業や牧畜は紀元前一万年前ごろが発祥だというから、自分たちは狩猟生活から移行して相当長い間「安定と不安」を感じて生きてきたのだろう。

狩猟時代は「獲物が撮れるか取れないか」がすべてで憂う対象は少なかったと思うが、それが農業に移ると収穫の多寡とか、保存とか流通とか、どんどん「心配事」は増えて行ったのだ。

そしてそれの成れの果てが今の自分たちである。

 

経済も技術も科学もどんどん進むほどに、どんどん不安が大きくなる様は、何か終わりのない人間の業を見る思いがする。

縄文時代鎌倉時代や江戸時代の人たちなら恐らく考えもしないことで、今の自分たちはいつも悩んでいる。

 

人間は「常に悩む宿命」を背負っているかのようだが、どうも「脳の構造」というのがそんな風にできているらしい。

思考をするということは、常に思い悩み、さらにその先に「考える襞」を作り出す。

人は哲学を考え、これからも永遠に悩み続けるということらしい

 

悩みは尽きないが"考える葦"はその名の通り、ずっと考え続けて深化するのだろう。

自分たちの日常の悩みも、そんな進化の過程なのだと思えばなんとなく納得がいくような気がする。