*[次の世代に]結局死ぬまでの話。
中国やローマの古事記を読んでいると、あまりもの「戦いと征服の繰り返し」の様子に閉口する。
政治は「民を食わせるため」と言うが本当に食べるためだけに、と言うよりは「蓄え」が欲しくて戦っていたのだろう。
飢饉や疫病が起こるとたちまち日常が壊される。
今の時代でもこれだけコロナは脅威なのだから、何百年も前なら「どんどん周囲を侵略して蓄えるべし」が当たり前の通念だったのだ。
現代でもトイレットペーパーが買い占められたりするから、「人の脳はここ何千年も進化していない」という話に笑ってばかりもいられない。
農業がなければ「収奪」は起こらなかった、というのは衝撃的な話だがなんとも皮肉なものだと思う。
蓄えるという行為がこれほど罪深いのは、結局未だに人間は「自分たちの文明」をコントロールできていないということだろう。
というか有史以来(有史って紙で記録されて以降、って意味だったんですね。なるほど)、必ず先に「発明」があってそれを「人間が生活に適応させる」ことを繰り返しているのだ。
そして今なお「お金」と「不安」と「健康」と「環境」の問題はどれも解決していない。
いよいよのこれからの目標は、そんなものを解決してゆく「人類の大チャレンジ」になるのではないだろうか。