藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

言わぬが花か

*[ウェブ進化論]言葉にできるか。

数日前、お坊さんの講話から「幸せは探すものではなく、気付くものだ」という話を書いたら「そうだった!」とか「さすが釈迦の話」などずい分と反響があった。

 

それでさらに考えてみたのだが、自分たちは決して「幸せに気付いていない」のではないと思う。

いろんな環境の人が暮らす中にいて、さらには貧困に喘ぐ国の人たちのことも知って「ああ、なんと幸せなんだろう」と自分たちは気付いている。

そしてその瞬間は周囲にも感謝している。

それが「続かない」のだ。

慣れてしまうのである。

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『慣れる』

英語では「get used to」とか「get accustomed to」とか「get familiar with」などというらしい。

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幸せな日常を、そのうち「当たり前」だと思う。

そうすると「もっと幸せに」と関心が向く。

それがどんどんエスカレートする。

そしてまるで「幸せの餓鬼」のような心が出来上がってしまうのだ。

 

欧米人は賢く、そういう「慣れ」をまさに「馴れ合い」にしてしまわない習慣を持っているようだ。

常に家族や夫婦や恋人や友人との間でも意思表示を怠らない。

「愛しているよ」「あなたは大切な存在だ」「君がいないと生きていけない」「お前を信じている」そんな言葉を照れずに常に発する文化がある。

 

日本人の我われは、そこまでではなくても少しは参考にする必要があるのではないだろうか、と真剣に思う。