藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

年の終わりに

*[次の世代に]自分は一コマの連続。

生まれて学校に行って云々、というあたりのことはともかく。

思えば、学生時代に進路に迷っていたことも、就職してプログラマーとして必死にロジックを追っていたころも、恋愛に熱中していた時期も、独立して仕事の波に飲み込まれていた時代も、思い返せば、全てが「自分の生きてきたシーンの一コマ」だった。

 

その一コマは、多分「一日単位」とかではなくて「一年とか三年」くらいの割と長めの一コマで、だから象徴的にそのシーンが思い出されるのだと思う。

つまりこれまでの自分はそんな「数年単位のトピックを象徴する"一コマの連続"で繋がっている映画の様なもの」ということの様にも思える。

 

そしてその一コマはこれからも続く。

"今の自分"も後から見返した時には「ある一コマの自分」なのだ。

そしてこの一コマは、当然最後まで続いてゆく。

 

そんな一コマ繋いでゆくリーダーである自分は、まるで映画監督の様にも思える。

総監督、自分である。

自分の「今の一コマ」を意識してみよう。