藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

当然の備え

*[次の世代に]波の予感。

もう今年も半年が過ぎ。

思えば「ここ2年」が自分たちの人生から消え失せてしまったようだ。

そして今回こそ、「こうした現象はこれからもしばしば起こるだろう」という教訓を得た。 

地震であろうが津波だろうが、台風だろうがテロであろうが。

ここ二千年くらいの自分たちの暮らしの中では「そういうこと」が必ずあったということらしい。

何か諦観のようだけれど、自然がそうした形で「規律の攪拌」のようなことを生態系に定期的にもたらしているのなら、「なるほどそれが自然の摂理か」という気にもなる。

「 自分が周囲のコントロールできない環境の中で過ごす」というのは、生命というものの生き様そのものだ、とも思えるのだ。

それが生命だと。

 

現代は「史上最も豊かで発達した時代」だということらしいが、その「今」はこれからも「自然に揺さぶられ続ける」のに違いない。

 

今は「最高に発達した時代」だとして、これからも「揺れながら」を考える必要がありそうだ。

こういう現象は、人類というか「地球上の生きとし生けるもの」すべてへの"試練"のようなものではないだろうか。

試練というか、刺激というか、サイクルというか。

 いずれにしてもそうした「波」を受けながら生物は進化してゆくのだろう。

「波」に驚き、慄くのではなく「波」を受け止めながら過ごしていくような覚悟と準備が必要なのだと思う。

先人に学ぶことはたくさんある。