藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

お里が知れる。

どうも妙な。


早大、清水選手を日本学生野球憲章違反で退部処分。


未成年の高校生に、上場企業の社員がカネを渡す。


後から「規則違反」と知った本人は良心の呵責を感じつつ、親の経済負担を思い、悩む。


そこに、「西武や教師」の証拠隠滅の指示。
本人は「信じてくれた人を裏切ったのが申し訳ない」と。


早大の処分はこれでいいのか。


報道を見る限り、理不尽、と。


なんだ、維持か。と思っていた。

東証日興コーディアル、上場維持決定。

単純に。


粉飾決算、「ok」ということにならないか。


単純に。


「組織的とはいえない」
「調査には限界がある」
とは、正気の発言とは思えない。


とまあ、世間並みに憤慨していたのだが…


有名ブロガの磯崎さんのブログを拝見して、驚いた。
日興の「悪さ度合い」と上場維持についての考察 | isologue
日興コーデの特別調査委員会の報告書をもとに考察されている。


委員会は50万通を超すメールを調べ上げ、「組織的な悪質性」をグレーと判断した、と。
著者の磯崎氏も「だからといって許されるわけではない」としながらも、「事故を起こした奴は殺せ」式の論調に警鐘を鳴らす。


マスコミを見ても、ここまで考察しているところは見当たらぬ。
「疑問の残る調査」などと言っているが。


磯崎ブログを知らなければ、ごく薄いマスコミ報道の「餌食」になっていた。
磯崎ブログも、絶対「正」ではない(そういう論調で書かれている)が、物事の多面性を思い知る。


ネット時代の考える力、よほど注意しないと「情報に飲まれる」とあらため反省す。


それにしても、大仁田議員、最高裁で敗訴。
「事前打ち合わせのない乱闘」のケガの責任で賠償命令。


てのは、洒落かしらん。
エンターティナとしては、どうかと思うが。

言葉は、体験の集積。

日本語と英語で意味のズレるものにはよく出会う。
chemistry、が「相性」なんて、ごく最近知った。(汗)


が、もっと怪しいなのは母国語かも知れぬ。

自分のweb辞書の履歴より。

gooの辞書はなかなか充実しており、お世話になっている。
「履歴」ボタンを見つけ、押してみる。


〈過去の検索語〉

−意味を調べたもの
姑息
逡巡
漂泊
手なぐさみ
いぶか{訝}る



−語源を調べたもの
誤謬(ごびゅう)
畢竟(ひっきょう)
ていたらく
うつつ(意味と漢字)
イキに感ず(漢字)

〈答え〉

姑息。(間に合わせ、の意。〝卑怯〟といった意味はない。)
逡巡。(単にぐずぐずしていること)
漂泊。(生業につかず、さまようこと)
手なぐさみ。(博打の意)
いぶか{訝}る(不審に思う。おぼつかなく思う。)


〈語源など〉

誤謬。(誤り、の意だが、一見正しいようで、誤っている推理、詭弁)
畢竟。(ひっきょう。畢も竟も終わる、の意)
ていたらく。(「体たり」から変化)
うつつ。(現。目が覚めている状態)
意気に感ず。(粋ではない)


これら、外国の友人や小中学生に相手に聞かれ、困ったものばかり。
あらためて「うつつ、ってなに?」と聞かれウッと詰まる。


正確に説明できない言葉を、よくもこれだけ「雰囲気で」使っているものだ、と呆れていたら、
なかなか納得のいく理屈に出会う。

言葉は体験の記憶。

茂木健一郎さんの著書より

私たちは、母国語の意味を、いちいち辞書を引いて調べるわけではありません。
人生のいろいろな局面でその言葉が使われたエピソードを集積して、その中から言葉の意味を抽出するのです。
「ひらめき脳・p123-4より」

なるほど!と。


その「シーン」と「ふさわしい言葉」を何度も体験することによって、
「言葉」と「意味」の関係を刷り込んで、TPOに応じて、使うと。

トランプのカードを切ってるようなものか。


確かにそうだ。「あ」という文字を見ても、ただの幾何学模様である。


そう聞いてから、自分の日本語が曖昧なことに、妙に納得する日が続いている。(浮)


先日のこと。


e君「藤野さん。先方はすべからく譲歩する、と言ってます。ウチの全面勝利です!」
自分「ホウホウ、すべからく…、ね」


「フンフン」と相槌を打ちながら、携帯を手に。


e君「携帯なんかいじって。興味ないんですか!」


「あ、ごめん」
(でもe君、すべからくは、「当然に」って意味らしい。「全面的に」じゃないみたいだヨ。)



携帯でweb辞書を引くのは、多少の誤解がつきまとうのだ。

梅田望夫×今北純一氏

2001年の対談だが、全然古びず、とても興味深い内容。
http://www.mochioumeda.com/archive/chuko/010701.html


テーマは「欧州の真の力強さとは何か?」←なかなかいい題名。とても分析的だ。



フランスの魅力と、アメリカの悩み。

のっけ、梅田さんのショッキングな体験から始まる。


昨年11月、パリ左岸のビュシー通りからジャコブ通りへと歩いていたとき、突然強い衝撃を受けたのです。
あとから言葉で無理に表現すれば「この街では正しいことが正しく行なわれている」という感覚でした。それで半年も置かずに、無理に休暇を取って、またパリにやってきました。


「正しいことが正しく行われている、という感覚」。
人が連綿と、〝普通の日常を重ねる〟ことで作り、重ねてきた「歴史」。
決して派手な「イベント」として年表に記録はされないが、「伝統の厚み」を梅田さんは感じたようだ。



一方、シリコンバレーに住みながら

最近は、アメリカの競争社会がますます過酷になり、二極分化が進み、人々の不安が増大し、アメリカ人ひとりひとりの生活という観点からは、決して幸せを追求する方向には向かっていない気がするのです。

とも語る。



欧と米、価値観の違い。

今北氏は


「他人との比較において成功しているかどうか」というアメリカ的物神崇拝的な物差しではなく、自分の物差しを自分の生き方に持つという精神的自由が、ヨーロッパの「懐の深さ」を形作っていると思います。


と指摘。
また、「主体性思考」ともとれる、「出会いの原理」についても以下のように表現されている。


私はエンジニア的思考をする方なので、偶然というのは必然よりも格が下だという思いがもともとはありました。
でも、ヨーロッパに来てから、偶然と必然というのは同格なのだと強く思うようになりました。
人と人との出会いを偶然だと言う人がいるけれど、御互いに何かを持っているから出会いがあります。
個人が皆、何か総合的な信号を出している。
そんな皆の信号の何を掴み取るかが、ある個人の選択だということです。
一本の筋がどこかで通っていると、そのことは別のところで何か一本通している人には必ずわかるものです。

 だから、職業を越えて、ビジネスマン同士だけでなく、匠の世界を持つ職人、音楽家、作家、アルピニスト、思想家といった、知的冒険・精神的挑戦を命ある限り続けていく人たちとの間で、深いレベルの共振が起こります。
そういう対人関係における選択肢の広さが、ヨーロッパの「懐の深さ」における基軸になっている気がします。
ヨーロッパの生き方がいい事ずくめであるわけではありませんが、個人の生き方として私が気に入っているのは、自分の生き方は自分で決められるという意味での選択の自由度がすこぶる大きいという部分です。


この後、
アメリカの持つ限りなく「透明」な競争システムや、
アメリカの「二極化を招く」体質、
ITとアメリカの親和性の高さ、などについて「梅田節」の鋭さは、01年当時とはいえ、いささかも変わらないが…。



今北氏は、アメリカと欧州の「異質」の根本を「戦力」と「敬意」という性質の違い、いや『動機の違い』と説明する。

今北 むしろアメリカとの違いは、もっと根源的なのではないでしょうか。アメリカは、最後に国力に結びつくことを予測して、世界から才能ある人達を集めたし、集めているのだと思います。それが世界でリーディングポジションを持ち続けるための重要な戦力だと思っているからでしょう。それは、アメリカの歴史のなさへのコンプレックスの裏返しでもあるのでしょう。一方、ヨーロッパは、知的に素晴らしい人に対しては、純粋に尊敬の念があるのです。

また、これから(いわゆるIT革命が進む中で)ヨーロッパの人々はその「敬意」という価値観を持ち続けられるのか?との問いに


今北 「豊かであり続けたいと思っている」ということが大切でしょう。
第一に、家族があってはじめてパワーが出るということを、皆本当によくわかっています。


これが日本では全く理解されませんね。
「自分がやりたいことを優先する。
家族がその最小単位として機能することが仕事でのパワー発揮の前提である。


今やっておきたいことと何十年か先にやりうることは置換できない」という「個としての自分を優先する原則」が、ヨーロッパ人に共通しているということです。


社会システムにおいては、この個人主義がややもすると利己主義に脱線するのをいかに制御するかという課題が常に付きまといますが、ヨーロッパの個人は自分の小宇宙を持っています。

われわれの価値観。

この対談を読み、考え込む。



自分の価値観は、一定していないな、と。


時には仕事(内容)、
時には会社(業績)、
時には家族、
時には趣味、
時には友人、


その時々、「重要事項」を優先しているつもり、だったが。
「家族があって始めてパワーが出る」
「今やりたいことは、先にのばし得ない」


これだけでも自分の「ポリシー」として、周りの人に意思表示できれば、ずい分と自分たちの人間関係は円滑になる、だろう。



仕事優先、も有りえる。
自ら「示す」ことが大事だ。



逆にこんなことも「未表示」ではいろいろと摩擦が起こるのはやむを得ぬ。




もっとも情けないのは、自分が「今頃こんなことをupしている」こと。



いつもながら、「小学校の道徳の時間にでも、教えといてくれたらなぁ」と、ボヤきそうになるのを堪えつつ。




新年仕事始めは、反省から。



イノシシ年だが、亀の歩みか。