藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

医療過誤裁判より


まだ若い父親が、二歳の女児を亡くしたという痛ましい事故。


気になったのは

(前略)
研修医の未熟な採血の結果、心臓病の長女(当時2)が呼吸困難で死亡したとして、
宮崎県清武町に住む父親(42)が、大学に損害賠償を求めた訴訟の判決で、
宮崎地裁は30日、約2400万円の支払いを命じた。

事件のことを知ったのは、いつも拝見している医師のブログから。

2007-08-01


記事はニッカンスポーツからの引用だが、論調は完全に
「研修医の未熟な採血の結果、死亡した」と。


そして

「注射針を刺す回数を最小限に抑える義務を怠った」と病院側の過失を全面的に認めた。

とある。


ブログの著者が言うように、記事からは

「心臓病の子供」に研修医が採血をさせるのが悪い。


そのうえ「4回も」針を刺すなんてなんと低レベルな。


という声が聞こえてくる。だが、医師の現場の声は言う。

(前略)
そんな状態の患児を相手の採血の上に、凝固させずに大量の血液が必要となると、
難易度は飛躍的に上がります。
記事には「4回も」と言う表現が麗々しく書かれていますが、
私に言わせると「たった4回で」って言いたいぐらいです。

報道の役割


著者も言うように、この報道の真実、については今後発表されるだろう判決文を見ないことには、断定できない。


だが、この事件の指導医の研修医に対する「リスク配慮の甘さ」を指摘しながらも、


まるで

「心臓病の子供には、研修医が採血するなんて、とんでもない」ということを読者に刷り込むような報道は、医療の現場に大変な混乱を起こすだろう。


医療過誤の裁判を見ていると、「患者側の思い込みの強さ」にはただならぬものがある。


まず「自然なこと」と「不自然なこと」を理解するだけでも一苦労だ。


肉親に起きた事件だ。
冷静に話し合え、というほうが無理かも知れぬ。


だから、報道する側はもっと突っ込んだ取材をすべきだろう。


取材や勉強は大変になるが、だからこそ「その記事の価値」が上がるのだ。


薄っぺらな散文はネットにいくらも溢れているのだから。