まだ若い父親が、二歳の女児を亡くしたという痛ましい事故。
気になったのは
(前略)
研修医の未熟な採血の結果、心臓病の長女(当時2)が呼吸困難で死亡したとして、
宮崎県清武町に住む父親(42)が、大学に損害賠償を求めた訴訟の判決で、
宮崎地裁は30日、約2400万円の支払いを命じた。
事件のことを知ったのは、いつも拝見している医師のブログから。
記事はニッカンスポーツからの引用だが、論調は完全に
「研修医の未熟な採血の結果、死亡した」と。
そして
「注射針を刺す回数を最小限に抑える義務を怠った」と病院側の過失を全面的に認めた。
とある。
ブログの著者が言うように、記事からは
「心臓病の子供」に研修医が採血をさせるのが悪い。
そのうえ「4回も」針を刺すなんてなんと低レベルな。
という声が聞こえてくる。だが、医師の現場の声は言う。
(前略)
そんな状態の患児を相手の採血の上に、凝固させずに大量の血液が必要となると、
難易度は飛躍的に上がります。
記事には「4回も」と言う表現が麗々しく書かれていますが、
私に言わせると「たった4回で」って言いたいぐらいです。
報道の役割
著者も言うように、この報道の真実、については今後発表されるだろう判決文を見ないことには、断定できない。
だが、この事件の指導医の研修医に対する「リスク配慮の甘さ」を指摘しながらも、
まるで
「心臓病の子供には、研修医が採血するなんて、とんでもない」ということを読者に刷り込むような報道は、医療の現場に大変な混乱を起こすだろう。
医療過誤の裁判を見ていると、「患者側の思い込みの強さ」にはただならぬものがある。
まず「自然なこと」と「不自然なこと」を理解するだけでも一苦労だ。
肉親に起きた事件だ。
冷静に話し合え、というほうが無理かも知れぬ。
だから、報道する側はもっと突っ込んだ取材をすべきだろう。
取材や勉強は大変になるが、だからこそ「その記事の価値」が上がるのだ。
薄っぺらな散文はネットにいくらも溢れているのだから。