藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

自己診断力を付けよう。

オリンパスほどの規模の企業でも、「ある体質」が蔓延(はびこ)ってしまう。
そもそもは、財テクの躓きからの出来事である。
糖尿病よろしく。

「慢性化の恐怖」はこんなところにもあった。

これは大きくは、上場企業とか、国の政治とか、そんなレベルでの話題だが、
小さく見れば自分の会社とか、自分の家計とか、自分自身の生活にもまったく当てはまる。
よく「悪癖」というけれど、身に染みついてしまっているものほど要注意である。

外部の目で防げるか。

そうしたまあ「逸脱」を防ぐために、監査法人による監査とか、四半期決算とか有価証券報告書とか、IRとか、まあ色々やってみるわけだけれど。
どうしても「ルール強化」では追いつかない感じがある。

ルールを新設すると、"さらにそれを掻い潜る方向"へと向かうのだ。

うむ。「これならルールに触れない」と。

それには「外部の目を入れよ」とよく言われる。
確かに色々と客観してもらうというのは大事なことであるし、勉強にもなるものである。
が、結局「核心の部分」については外部の力は及ばないと思うのだ。

経営判断は、ある種のリスクであり、例えば「財テク(運用)をするかどうか」ということももちろん含まれる。
しかも、大企業になればなるほど、いやそうでなくとも、本能的に人はリスクを恐れるから「止めておいた方がいい」「好ましくない」「責任をだれが取るのか」という議論が大勢を占めやすいものである。
いちいち外部の目に頼っても、そうした「アクティブな方向の意見」は期待できないだろう。

三者委員会が「勇猛果敢な投資行為であった」などとは言わないのである。
では、ルール強化意外には何があるか。

自分は結局は"モラルと覚悟"かなぁ、と思う。
財テク全盛の90年ころにも、資産運用に見向きもしない幾人かの経営者がいた。
稲盛さんとか、永野さんとか。
バブルが弾けても全く被害なしの「ノー財テク」の判断は、想像以上に強い精神がないと出来なかったろうと推察する。
自分ならやっていただろう。

今も名経営者の筆頭に輝く先輩たちに共通するのは、やっぱり"覚悟とモラル"ではないだろうか。
匹夫の勇ではない、覚悟。
はしたない、といわれないモラル。

大学では、経営学でそんなテーマも教えてもらいたいものである。