藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

コストパフォーマンスのこと。

安くておいしいものを食べて「コスパがいい」とか、「おいしいけど(お高いので)コスパがねぇー」などという。

B級グルメ、などというカテゴリーもあり、「パフォーマンスの追求」というのは、ただ高級、とかただお腹が膨れる、とか、そういうこととは別の美学があるようである。
「費用は極力抑えて、それでいて美味しいもの」という指向のゲームなのだろう。
それはともかく。

先日お客さんと某高級レストランにお邪魔したら、注がれたワイングラスがあまりに綺麗なので(ワインそのものよりも)「なんともいいグラスですね」と言うと、ソムリエ氏が「特注で一つ三万円はします」とのこと。
さらに「でも、いいワインにしか使用しません」と。
そんなこと聞くと、持つ手が震えるじゃない、と思いつつ・・・

自分のことに思いを巡らす。
例えば、自分が家で普段使いしている「水飲みコップ」とか。
「家飲み」で使用するワイングラスとかシャンパングラスとか。
そうしたものはせいぜい二三千円のものである。
しかし、その使用頻度は高く、朝晩は毎日、休日は一日中傍にいて。
また酒用のグラスたちも、そんな高級レストランに行く頻度に比べれば、遥かに多く使用している友達である。

つまり「使用頻度の高いもの」こそまあ「自分の思う最高のものを使う」というのが結構な幸福感をもたらすのではないかと思ったのである。

普段飲んでいる「水飲みコップ」が一番お気に入りのクリスタルだと、ひょっとして毎朝の気分が変わるのでは?とか。
いつも飲んでいる焼酎水割りのコップがバカラだと、夜の酩酊感が違うのでは?
なんて。

コスト・パフォーマンスという言葉も「効果/費用」だから、分母の費用が少々高くとも効果(=頻度とか、機会の重要さとか)の大きさにも注目が必要である。

そんな話を友人にしてみたところ、「当たり前さ。『いま一番大事な物を身近で使う』というのは豊かな暮らしの基本だよ」と一蹴されたのには驚いた。
知っている人は知っていた。

これからは、日用品こそを百円ショップを使わず、日用品こそ「上等でも一番使いたい物」を使う生活を始めてみようかと思う。
そういわれれば、「人は何のために高価な物などを所有するのか」と思うが、使ってナンボ、という精神がなければただただ所有することに執心してしまうものかもしれない。

所有よりは使用することに楽しみを覚えたいものである。