藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

ゴールの先。

皮肉なことだが「ある目的」に憑依されると、そもそもの目的が見えなくなることってよくある。
「出会い」を求めると出会うことが自己目的化して「何のために出会いが欲しかったのか」が見えなくなるのだ。
最近就活とか終活とか婚活とか離活とか言うけれど、そもそも何のための"○活"だろうか。
出会うこととか、結婚とか就職が最後のゴールではない、ということが意識できていないことはないだろうか。

知り合いにIPO(株式公開)こそが目的だ、という経営者がいたが上場後「その後の目標を見失った」と嘆いていたのはその一例だ。

異業種の、それも自分の関心のある業界の最前線のプロと逢って、自分は何を感じ、また相手に何かを投げかけて交流できるかどうか。

異業種とか、異種の交わりと言うのは結局「相互の関係」なのだと思う。
出会った分、こちらからも相応の「刺激」を相手に返せなければ、単なる歓談に過ぎない。

出会いとは、「それを機に、お互いにどう反応しあえるか」という人間関係の縮図なのだという気がする。

そういう意味では男女でも友人でも、仕事でも同じ性質なのではないだろうか。

相手がすごくても、自分から何らかの反応が返せなかったら、その後の関係は潰えるものだ。
そういう風に考えると、いくら多くの人と出会っても「自分に何か」がないと関係は発展しないものだと気づく。

異業種の、しかも一流のプロと逢って「さらに話が交わせること」を自分たちは持っていなければならない。
出会いは大事な機会だが、出会った時に意味ある"交信"ができることが何よりも大事なのである。

どんな偉い人と逢っても、自分なりの"何か"を語れるように。
そんな心構えで色んな人との出会いを模索すればいいのではないだろうか。