ブログは、web上で管理が可能なことや、アクセスの万能性、それゆえ「思索ツール」として有効。
また、図らずもこれまで「死に筋」だったこうした「知」が残ることで、「知の継承」が行われることも、重要。
web時代までにはなかったことだ。(その様子を「知層」と呼んでいる)
が、それだけではなかった。
「思考ツール」の先。
以前、
・ブログ内に「思考のタネ」をいくつも置いておき、
・機会を見てそれらを「掘り下げる」こと
を書いた。
http://d.hatena.ne.jp/why-newton/20061201
「究極の思考支援ツール」だと。
さらに「裏ブログ」を始めた。
「支援ツール」はもう一歩進化する。
表と裏。
今の裏ブログはこんな具合。(ごった煮です)
∫[ブログ考]人生は、あと何時間。
∫四谷迎賓館(センチュリーミュージアム)
∫神風タクシー。
∫Horowitz。その作曲者の全作品を弾いてみる。翻って、その作家の全作品を読んでみる。
∫学び直したい物。微分積分。音楽。→重要事項を優先するために。へ。
∫7つの習慣の二番目、「重要事項」を優先したい。この先、どれだけのものもが視野に入ってくるのだ?
∫教育の動機がない、微分・積分を楽しむ本。教育勅語。
∫裏blog。調子がいい。(ふふ)
∫blogの効用。シャンプーと切れ端時間。
∫blog学派、スタイル。クリック&モルタル、本屋、本とblogの相乗効果。
∫愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。
∫ORM.オフィス・リソース・マネジメント。
∫柳生新陰流道眼
∫量子テレポート
∫上を目指す、ということは、「純粋」に音楽を楽しむこと。音楽と正面から向き合う→心から楽しむこと結局、自分が自分のために、どれだけの時間を燃焼できているということか。
∫グローバルミニマム=国際的基本的人権
∫public interest=公益
∫00年、2000年、地球の富の半分はアジアに存在した。
∫切り込み隊長ブログ
isolog
∫seslf interest意外の何かが必要(東大・カンさん)
∫軽蔑したり、軽んじたりは、自分のcomplexや下らぬ虚栄の裏返しでは?
∫引き継いだときと、同じか、それより良い状態でこの星を次世代に渡す、という難題が課されている。
∫ratexmgteachers.com
∫wiki-quote
∫パガニーニの主題による狂詩曲
∫理想のウエイター音・目
∫ニューアカ世代
∫スノビズム:学歴偏重
∫wine基礎。 編集
・ボルドー:カベルネソービニヨン種
・ブルゴーニュ:pino noir(シャルドネ・白)
∫グレン・レイノルズblog
∫拵(こしらえ)る
∫したためる。(認める。)
三日間でこのくらいなので、どんどん増えるだろう。
そんな中から、タイミングの合う話題について、周辺を勉強しなおして、形にし、表のブログにupする。
自分の〝鏡体〟。
こうして裏ブログを眺めてみると、つくづく「自分の考えてることと同じ」。(当たり前だが。)
つまり、自分とは「こんなやつ」なのだ。
気になったことや、いい情報などをペタペタ貼り付け、やがて全体がなんとなく、一つの「まとまり」というか「性向」を帯びてくる。(忘れない点、自分よりも頼もしい。)
自分の分身……
表ブログは、練ったあとの作品、みたいなもので、これまでの「足跡」的なもの。
裏ブロには、「これから」の熱気がムンムンしている。
なぜだ?
自分と対面。
ハタと気づいた。
今まで私は、「自分自身」と向き合ったことがあったろうか?
例えば、人が撮った写真やvideo。自分の姿を見て、ハッとする。「他人の目で見る自分」は気になる。
それの「頭脳バージョン」。
鏡に映すように、対面して自分の「頭の中」を見る。
ブログは自分頭脳の「鏡面体」。
外から見るので、粗(あら)も、質感もよく見える。
内から自分を見るのとは正反対。
岡目八目。
なぜ、ブログが己のためになるのか、また確信が深まった。
もはやブログ道だ。*1
*1:と思って調べたら、すでに「ブログ道」の提唱者がいた。久米さん、というTシャツ会社の社長。本も出ている。http://kume.keikai.topblog.jp/blog/100/10003048.writeback