藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

梅田望夫のひみつ−そのニ、「連続」の実際。

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

ウェブ進化論」のこと、
ウェブ時代をゆく」のこと、
ひいては梅田さんのこと。 

ウェブ世界の全体を構造化し、説明した「ウェブ進化論」と
ウェブの黎明期、を「生きること」の構造化を試みた「ウェブ時代をゆく

この辺りのことに気づいた週末。


それからは人に説明するのにものすごくし易くなった。
これまでは「ウェブ全体を俯瞰した本だよ」とか
「まあ生き方についてのお手本的な」とか、どうにももどかしかったのだ。



ロールモデル思考法」の体系

第四章の「ロールモデル思考法」を何度も読んでいてハタと気づいた瞬間は今も忘れぬ。
著者が二十代半ばで「初めて就職する時から現在まで」が切れずに「連続」していることを書いておきたい。

<理論編>

・自分は「好きなこと」以外、からきし力が出ない。から
   ↓
・その「好きなこと」を探し続けなければ、サバイバルしていけぬ、ゆえに
   ↓
・「好きなこと」を見つけて育てるための「方法論」を模索し始める
   ↓
・「好き」がキーワードだからまず最初は「直感」から「ロールモデル」を選ぶ
   ↓
・人物全体、を単位とするのではなく「時間の使用法」や「流儀」のような「部分的なもの」に焦点を当てて探す
   ↓
・「惹かれた」というセンサに反応があれば、それにこだわり「構造化(なぜ惹かれたか)」を試みる
   ↓
・これを繰り返し、「えんえんと」集積することでより「好きな」方向へ行くための道しるべがどんどん増える
   ↓
・いつしか「灯台」のようにある方向を照らす。

見事な「思考の連続」。
だが、これだけでは単なる「理論」でしかない。
「実践」してきたことが驚異なのだ。


ロールモデル思考法」の実例

けものみちを行くと決めた著者は「初めの好き」を探す。


<実践編>

まず、得意な「数学やコンピュータ」。
「経済系の大学への再入学し、学究(大学に残る)」。
趣味の将棋関連の機関。
耽溺していた作品から、ルポライター

全て響かず。


そしてホームズ、に引っかかる。
ここから構造化が始まる。

1.ホームズに惹かれるが、「犯罪捜査がしたい」わけではない。
   ↓
私立探偵の「在りよう」に惹かれている。(なぜか)
   ↓
「高い専門性」と「仕事の繁閑の差が大きい」ことが魅力。
   

2.ルポライターの仕事からは「未知の話しが聞けること」と「聞いた話を構造化すること」に惹かれる。
   ↓
今北純一著の「孤高の挑戦者たち」から著者の属する研究所の仕事が非常に上記1.2.の要素に近いことを発見する。そして
   ↓
現在一番近い形態を取る企業はADL*1であること。
   ↓
現在は経営コンサルにシフトしているが、ともかく求人があること
   ↓
そして「けものみち」のスタート!


そして達人の営みは連綿と続く。
これが「梅田が天才化」した理由である。

それから現在に至るまで「けものみち」を歩く私のスタイルは、常にロールモデルの仕込みを丁寧にやり続け、転機になるとその引き出しをあけてロールモデル思考によって大きな判断をし、それでしばらくはその執行に没頭し、また転機がきたらロールモデルの引き出しをあけて……という繰り返しだった。
(p121)

似たようなことをやる人はいるだろう。
意識して「途切れずやり続ける人」は稀有だ。


そしてその後、

「ブティック・コンサルティング・ファーム」に惹かれ、またその内容を「構造化」して徹底して研究。
   ↓
好きを確信して近くのサンフランシスコへ転勤。
   ↓
(いきなりコンサルでは仕事がないので)
かねてからロールモデルにしていたエスター・ダイソンの「コンファレンスとニュースレター事業」の引き出しを開け、切り札として事業化を思案。
   ↓
「ADL情報電子産業フォーラム」へと加工して事業化に成功。


と続く。
そして2002年に転機がきた。
ウェブ進化論」の萌芽でもある。

二〇〇二年秋に「Blog(ブログ)」という聞き慣れぬ言葉を初めて耳にしたとき、私はブログという新しい存在が発している強い信号を感知し、自分にとってとても大切な「力の芽」なのだと直感した。(中略)


私がブログに惹かれたのは、二つの面白い可能性を同時に追求できそうだったからだ。
一つは「新しいメディア」としてのブログの可能性を追求すること、つまり「文章の表現者」として自前のメディアをウェブ上に持ち、果たしてどこまでいけるのかを試してみることだった。


もう一つは、ブログというメディアを媒介に、日本の新しい才能と出会う可能性を追求することだった。そしてこの二つの意味のそれぞれに某(なにがし)かのロールモデルが欲しいと思った。
(p131)


そして著者はウェブ進化の過程を「産業革命直後のヨーロッパ」と対比し、そしてブログのロールモデルとして「十九世紀初頭の新聞小説」を当てはめる。

そしてついに「人間喜劇」を書いたバルザックにフォーカスし、「バルザックが当時のネットベンチャー経営者そのもののような起業家」だったことを発見するや、ついに「ブログに突っ込む」決心をする。

そこから先は我われの知る梅田望夫だ。


「CNET Japan」での400本を超える、狂気の長期連載から「ウェブ進化論」上梓へと続く。


こともなげに梅田は言う

(ボリュームのある一エントリの長期連載について)
ロールモデルが「十九世紀初頭の新聞小説」だったので、「毎日たくさん書く」ことに何の迷いもなかった。
ブログという新しい「力の芽」と出会った以上は、自分の時間という稀少資源を思い切りつぎ込もうと思った。

果たしてその過剰さが反響を呼んだ。一ヶ月ほどで常時一万人が毎日アクセスする個人メディアに成長したのである。
(p133-4)


そして、ロールモデル思考法の「積み重ね」はさらに続く。

(前略)結果として、ブログを始めた第二の意味、つまり、ブログというメディアを媒介に、日本の若い才能と出会えるようになった。
そうなるとまた新しいロールモデルを用意するのが、私のやり方である。(中略)


そうか。「若き日のジョン・ドーアの時間の使い方」を日本の若い才能を探索するときのロールモデルにしよう。私が日本に出張したときの「空き時間の使い方」のロールモデルにしようと決めた。
(p135)


引用が多いので最後に。
(本章には、小柴博士の「スーパーカミオカンデ」などになぞらえ、ロールモデル思考法の実施方法や心がけが記されているので、ぜひ読んでいただきたい。)


<知の意味が変わったこと>

ウェブによって、知識を記憶していることの価値が相対化された。
知をひたすら溜め込み、知の隘路に入り込み知識の多寡を競うために、知は本来あるのではない。
知の意味とは、知を素材にそれを生きることに活かすことだ。
そのためのロールモデル思考を、システマティックなな思考法として自分の中で標準化することが大切なのである。(p137)

<エッセンス>

本書冒頭で『「好き」を見つけて育てるための思考法は何かないのだろうか。
本章ではこの「やさしくない」問題に挑戦してみたい」と書いた。


突き詰めて言えばそれは、戦略性と勤勉ということに行き着く。
自分の志向性に正直になり「好き」を見つけるための努力をこつこつと続け、「好き」なことの組み合わせを見つけたら(創造的な組み合わせを見つかればサバイバルできる確率は高くなる)、面倒なことでも延々と続ける勤勉さと、それを面倒くさがらない持続力がカギを握る。


私が何とか「けものみち」でサバイバルしてきたことについて、私自身が振り返って頭に浮かぶ要因は、「好きなことをやり続けたいという執念によってドライブされた勤勉」以外には思いつかない。
こつこつと丁寧に細かなことを積み上げながら毎日を送ってきたことに尽きる。
(p143)

「好き」と「構造化」が連綿と続いている事実を記しておきたくて、長い引用になった。
だが、自分も「理屈」だけでは「ふーん」で終わっていたと思う。


「え!まさかホントに途切れず、エンエンとやってる人がいるの!?」と目の当たりにしたゆえ目からウロコだった。
現金なものである。(苦笑)


あとから、その軌跡を見れば梅田は「小さな芽」を執拗ともいえる「勤勉」で育て続けてきた人物、ということになる。


「勤勉は極まると天才になる」ということが証明された。

*1:アーサー・D・リトル社