藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

梅田望夫は知っていた

「さあワトソン君。これはどういう構造になっているんだと思う? 実はね…」


鹿撃ち帽にタータンチェックインバネスコートを羽織り、けものみち人生を疾駆する梅田望夫が見えた。(しゅー)

第四章を読み終えた直後の感想だ。

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

相関図


それにしても。
その目でみて見ると、おそろしや。
何か異星人の作った宇宙船でも見てるみたいな気分になってきた。


どこからどこまで叩いてみても「構造化」と「ロールモデル」の塊である。
最初から「そのつもり」だったのか

ウェブ進化論」はその副題−本当の大変化はこれから始まる−にもあるように現在を「維新目前」となぞらえ「ウェブの今とこれから」を俯瞰した書である。

そして

ウェブ進化論」と「ウェブ時代をゆく」の関係は、福沢諭吉
「西洋事情」と「学問のすすめ」を手本におく。

さらに

ウェブ時代をゆく」の原点は幕末と維新を生きた、福沢の「一身に二生を経るがごとく」をモデルに。

お手本(ロールモデル)と構造化、
お手本(ロールモデル)と構造化。


本の題名までお手本、は司馬遼太郎に。
そして最後はgoogleでユニークかどうかまで検証し、命名


完璧だ。(驚)


福沢諭吉の「学問のすすめ」は都合三千万部以上売れたという。
また福沢は「猿でも分かるように書くこと」を念頭においた、そんなところも梅田氏の(共通言語を使う、という)ロールモデルなのだろうか、などと思う。



天才の勤勉はこれからも続く。
 

梅田望夫は平成の福沢諭吉になるのかもしれぬ。

これからも驚きの発見を見せてくれるにちがいない。


そう言えば、気になる発言


梅田さん、というのは恐らく相当謙虚な(というより客観的な)人だと思うのだが、そういえば気づいたことが。


たしかインタビュー記事だ。
 

あった。ネットは偉大だ。今年三月のITプロの記事より。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/enterplat/20070322/265997/?P=5

(梅田)ウェブ進化論を2006年1月に脱稿して,11カ月経っています。この11カ月間で唯一書き足さなければいけないのは,ユーチューブだけなんです。
細かい動きは,全部この中に書いたことで説明可能です。

あんまり「そういうモノ言い」をしない人だから。
けど「エッフェル塔のてっぺん」からは見えていたのだ。


ほかの誰ひとり、梅田以上に「簡潔に、より全体を説明し切っている人がいない」ということを。

全部この中に書いたことで説明可能です。

と言い切るこの言葉に「構造化し尽くしたという」著者の自信が見える。
ウェブ進化論」以前も以後も、googleyoutubeや、それこそ何百という書籍、何万もの記事の中で。


ウェブ進化論」のみが特別、異彩を放っていた理由を自分は今知ったが、著者にはそんな感覚は当たり前だったろう。


失礼ながら、何しろ「構造化」が服を着て歩いているようなものだ。


色んな同分野の書籍などを見て「あ、これはこの部分を詳しく説明しているな」とか
「これはここが分かってないな」とかそんな気分だったのではないか。

美しい姿

構造化、と聞くと「構造化プログラミング」のことを思い出す。
もう四十年も前にできた考えで、そのプログラムがこなしたい「業務」を「構造化(分割)」し、モジュール化して隙や重複をなくすプログラミングの方法だが、最近「文章」についても同じようなことをよく思う。


プログラミングではよく「短さ」が話題になる。
ある処理をするのに「どれだけ短く」ロジックを納めるか、
というのはプログラマの実力を表していた。

文章も無駄なく、重複なく、誤解のないこと。


その文章を読んで理解できない人がいないこと。

ロジックの短いプログラムを見て「きれいだな」とよく言っていた。


梅田さんの文章に接しているとそんなことを考える。