最近、楽譜を眺めていて、つくづく。
よく、「作曲家の書いた譜面には"一音のムダもない!"、もっと譜面に忠実に!!。などといわれるが。
じつわ。
それを聞くたび。
なんの、まあまあ。
そうは仰るが、作曲家もその作曲過程でノリノリで筆が走ることもあるハズ。
そんな「一音も飛ばすな」なんて暑苦しい。
ちょっとくらい、いいじゃないスか。と思っていた。
最近、一つの楽譜を二年くらい眺めていると、「うぉ。やっぱりここのスタカート、かならず意識しないといけないのか?(ショパン)」とか、「なんにも指示ないけど、ホントにこんな弾き方が作曲者の意図なのか?」(ベートーベン)とかまじめに分からなくなってきた。
そして、やはり「一音のムダもない」という気にもなってきた。
作曲者と演奏家とは、大変な関係だなぁ、と思っていたところ。
そう言えばホロヴィッツが言っていたのを思い出す。
ある作曲家のことを理解するには、その作曲家の作品を「全部」弾いてみるんです。
初期から最後までその人の作品を全部通して弾いてみることで、その作曲家と対話できるのです。
例えばシューマン。
すべてのシューマン、を一度に弾いて「作曲家」を知る。
本でも、論文でも、そして音楽でも。
その「オリジン」たるところを辿り、真正面から付き合う。
自分には「それに足る技術」が足りないが、達人ほどそのアプローチは真っすぐで正道をゆく。
なんのことはない。
やはりショートカットなどできないのだ。