藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

自発の運用


自分たちの仕事など、他人とのかかわりなしにはありえない。
これが作家とか、芸術化ならかなり「ひきこもった」唯我独尊の生活スタイルもあるのかもしれないが、自分などは全然そうではない。


しかもサービス業だけにむしろ、「人とのかかわり」にすべての重要なポイントがある、というほうが正確だ。


そんな状況で「人からものを頼まれたり、人にものを頼んだり」することはめちゃ重要だ。これでお互いの仕事が成り立っている、といってもいい。


なら。
それなら。


ものを頼むときに相手に「自発してもらうか、他発のままか」はものすごい違いがある。


自分は思い返すに、人に何かをしてもらいたいときは相手は多発だ。
「これをやればいいんスか?」と。


「ハイハイ、やればいいんでしょ」と。


これで期待できる結果は知れている。


頼み方が間違っていたのだ。


頼みごと、ということ。

人に「ものを頼む」ということ。


自分ではできないから、人に頼む。


それを「命令」として受け止めるとあまり面白くない。

(なので時の権力者の支配が、一定の人望を失うと謀反が起こるのは面白い現象だ)


自分には成しえない。
だからこそ、キミに頼みたい。


この気持ちを持って、伝える。



相手には「やってやろう」という「自発」が芽生える。
これは根本的な差異だ。


リーダーの陥る穴


リーダーシップのあるほど。
カリスマ性、ビジョン、実績のあるほど。


自分が「引っ張っている」という意識は強くなる。
事実そうなのだ。


が。


周囲は「自我」で動いている。
他人は「頼まれ」て、その気になったことには「自発」でいられる。


だが、人からの「命令」には従属的だ。


ここにリーダーの死角があるのではないか。


リーダーだからこそ。
そのリーダの片腕となり、頭脳となって活躍してほしい。


そうリーダーが思えねば、周囲の「自発」はないのではないか。
逆にそうして周囲の自発を促すリーダは、そのもてる能力の何倍ものパフォーマンスを発揮するだろう。


自分個人の、自発と他発。


それが集団になったときのプラスとマイナス、を想起する。


人は心で動く生物でもある。
それが合わさったときには大きな力を発揮する。


いくら世の中がデジタルで進化しようとも、この原則は忘れないでいたいものだ。



人に「自発」してもらうことは、まだまだできる。
その人を「信頼して任せる」ことに尽きる。