藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

個人レベルを超えよう。


なぜ忍者の話を思いついたのかと思ったら糸井さんのブログがきっかけだった。
「学校のテストでは自分の力だけ」だったのに、社会に出ると「協力、相談、指導」が重要になる。
というかそれなしに「個体」でできることなど知れている。
個の力を磨くことは大事だけど、「それ」を集合する知恵も不可欠なのだという現実である。

よく「組織力」などと一言でいうけれど「個の力」のない組織は烏合の衆だし、また優れたロンリーウルフがただ集まっていても到底統率は取れない。

今でも個の力だけで生きている、いわゆる"ピンの力"の優れた人は数多くいるけれど、それはなかなか大きなうねりにはなっていないようである。
それよりも、突出した個人に頼らず、「レベルの比較的高い人の意識を集合している組織」の方が隆盛だと思う。

そうしたら重要なのは「個の突出した力」よりは「個のベクトルを揃えて導く力」がより重要になってくる。
ここらへんのバランスが難しいのだけれど、「個の革新的な能力」を失わず、温存しつつも多数を統率するような「調整統率する力」が必要なのだろう。

個と集団のどちらか一方が優れている、ということではなく。
互いが認めるところを分かって、尊重の念を持ちつつ一方向へと向かえるような環境。

リーダーの仕事はそうした環境づくりの才なのだと思う。
自分が優れていることだけが必要なのではない。
けれど優れた才能は必要だ。
周囲の賛同とか協力とか自発とか。
それがないと、じつは花は咲かないものなのだろう。

農業をしている人は「そういうこと」が自然に身についているようである。
他人の声、自然の声、自分の工夫をバランスよく考えて果実を育てる、という行為は第一次産業の人たちから今こそ学ぶ時なのではないだろうか。
立派な果実を育てることだけを目的にするその姿勢は、ホワイトカラーの自分たちにこそ必要な気がするのである。

・学校の入試だとか、いわゆるテストのときに、
 他の人に相談するのはいけない。
 他の人の答えを訊いて、参考にするのもいけない。
 参考になりそうな本を持参し、それを見るのもいけない。
 わからなくなったところで、誰かに電話したり、
 メールで意見を訊いたりするのもいけない。 
 つまり、じぶんの記憶のなかにある材料だけを使って、
 じぶんだけで考えて、答えを出すのがテストなんですね。

 ところが、社会に出ると、
 まったくそれは逆になるわけです。

 相談できるところは相談しなきゃ。
 参考書を読んで参考になるならどんどん読まなきゃ。
 会社やチームの外にいる人からだって、意見を聞こうよ。
 記憶があやふやなままにするんじゃなくて、
 ちゃんとしたデータを参照してくれよ。
  
 学生時代に、誰にも頼らず、
 「ひとりでできるもん」をまじめにやってきて、
 どうだ、こんなにたくさんひとりでできるんだと、
 胸を張って自慢していたようなことを、
 そのまま続けていると社会では伸び悩むことになります。

 社会は、個人的な優秀さを競い合う場ではなく、
 複数の人が力を合わせて、問題を解決する場なのです。
 「お手柄をあげたい!」という気持ちだけでは、
 他の人に味方になってもらえなくなります。
 ほとんどすべての仕事は、「合作」であり「協業」です。
 独立的に見える画家や音楽家などのアーチストでも、
 その作品ができたというだけでは、仕事になりません。
 たくさんの人の助けが必要なのです。
 
 ひとりの人の身に備わった「実力」は、
 もちろんいつでも問われているでしょうが、
 もうひとつなにかを成すには「協力」という名の力が、
 とてもとても必要なのです。
 「協力」という大きな力を与えられてない人は、
 ひょっとすると学生時代のテストのやり方が、
 すっかりクセになっているのかもしれませんよね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「力」という文字は、とにかく注意深く扱ったほうがいい。