藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

勝負の神は細部に宿る。

四日間に亘って岡田さんのインタビューを詳しく見たけれど、改めて旗幟鮮明なのに驚いた。
さらに、ずい分はっきりと"起承転結"が分かれているとも思う。
最初の監督時代の苦労から、ワールドカップのベスト16を経て、監督現役を一旦退いた現在までの「職業人生の経験」がきちんと積み上がってきていることが窺える。

それは順番に見れば

・リーダーとして「苦労の連続」を経験しながらも、実はその苦労は「成功のためのプラクティス」であることを体感する。

・監督という「リーダー」は情を排して組織作りをするという「非情さ」を意識し、それを"強さ"という特性に位置づける。

・さらに監督の備えねばならぬスキルとして"チームモラル"を掲げる。

・そのチームモラルは、リーダーの輪だけではなし得ず、その原点は「スタッフの自発」であることを見出し、自主性の伸長に腐心する。

・そして、自主性の発揮への一番の要諦は『指導というのは、空のコップに色々入れようとするのではなく、こちらは一歩引いて本人に考えさせ、リスクも含めて任せ、内側にあるものを最大限に引き出すこと。』であると説く。

・さらに本番で実力が存分に出せるよう、精神的なリスク負担を「リーダーとして負う」という配慮をすること。

・具体的な戦術として"フィロソフィー"と言われる最適な目標を設定して掲げ、これの浸透をチームリーダーを通して図ること。

などである。
起承転結でいえば、「スタッフの内側にあるものを最大限に引き出すこと」を見定めたあたりが"転"だろうか。
そして、岡田流リーダーシップ論の"結"は、ふたたび「リーダー個人」に戻って完結している。

リーダーの資質には決断力や行動力、先を読む力などがありますが、一番大事なのは「自分が登るべき山を持つ」ということ。つまり目標や夢です。と。

マネジメントのhow toを考える前に、リーダー自らが夢を持て。
そして、岡田は自らを、自らの生き様に照らして研鑽を常照する。

僕は様々な決断を下すときに必ず「この生き様は美しいか?」と自分に問いかけます。と。

優れたリーダーは、みな形は違えど類似した「価値観のメジャー」を独自に持っているようである。
そんなメジャーのあり様に、これからも注目していこうと思っている。

特別インタビュー 階段を一歩上るとき
2010年のワールドカップで日本代表をベスト16に導いた功績がまだ記憶に新しい岡田武史さん。98年のフランス大会では最終予選中に監督に就任してワールドカップ初出場を果たし、Jリーグの監督としても活躍。人間味溢れる指導者として「岡ちゃん」の相性で親しまれたが、バッシングにもさらされ、決して順風満帆とは言えなかった中、岡田さんはリーダーとして何を考え、どうチームを率いてきたのか。ビジネスパーソンが学び、実践できることを探る。

苦しい状況に陥るのは意味がある

監督をやって楽しいことなんてほとんどありません。孤独で試行錯誤と失敗の連続で辛いことばかり。でも、辞めるとやりたくなるんですね。僕は優秀な指導者ではないんですよ。世の中にはすごい指導者がいますから、謙遜じゃなく本当にそう思っています。もし僕に強みがあるとしたら、諦めない、投げ出さないことだけ。コツも何もありません。


僕の経験から言うと、どんなに苦しい状態が続いても、それは必要なものなんです。逃げ出さないで必死にやっていれば、必ず次の高い場所が待っている。「以前のようなプレーができなくなった」と悩む選手たちにもよくこう言います。「何のために今、落ちていると思う? より高い所に行くためだ。高くジャンプするときほど深くしゃがむだろ。そんな低い所ばかり見ていてどうするんだ」と。僕のように上り下がりの激しい人生を送っていると、「この苦しい状況は、次のステップアップのご褒美が待っているな」とわかるんですよ。


僕が指導者になって最初の壁に苦しんだのは、古河電工のコーチとしてなかなか試合に勝てず、行き詰まったとき。僕の現役時代には、例えば日本代表に選ばれると、まず宴会を開いていたんです。つまり、「情のつながり」でチーム作りが成り立っていたんですね。それまでは僕も、どちらかというとそういうチーム作りをしていたんだけど結果が出なかったんです。そこで悩んだ末に環境を変えようと、36歳でドイツにコーチ留学しました。ドイツでは色々な苦労があって、「俺はここまで来て何をやっているんだ?」と不安にも陥りましたが、この留学時に、監督と選手では立場が違うということが分かりました。みんなに好かれたい、仲良くやっていきたいと考えても、それではチームは勝てない。それならば監督は、チームが勝つために、情に惑わされず、何が必要なのかを突き詰めていかなくてはならない。つまり「監督の強さ」というものに気付いたんです。このドイツ時代の経験は、僕にとってとても大きなものでした。

41歳 チームが勝つためだけを突き詰めた初監督時代

日本に戻って日本代表のコーチをしていた41歳のとき、フランスワールドカップ最終予選の土壇場で急遽、監督交代を命ぜられました。「1試合だけ」という条件で引き受けざるを得ない状況だったんですが、正直なところ逃げ出したかったですよ。選手にとって代表になるかならないかは天と地との差がある。その決断を下すわけです。采配に失敗したとしても、外国人の監督なら自分の国に帰れば終わりですが、僕は日本人だからそうはいかない。


とにかく、情のつながりでチームを作らず、「チームが勝つためにどうするか」だけを突き詰めることにしました。あのときの僕は、監督としての実績はゼロ、現役時代にカリスマ性のある選手でもなかったので、頼れるものは「理論」しかなかったんです。今となっては、あまりに理詰めだったと思いますが、当時の自分にとってはそれがベストだったから仕方ない。


とはいえ、ワールドカップ直前にカズ(三浦知良)や北澤(北澤豪)を切ったことへのバッシングはものすごかった。脅迫状や脅迫電話はしょっちゅうで、自宅をパトカーに24時間守ってもらった時期もありました。表には一切出しませんでしたが、裏ではのたうち回りながらやっていたんです。勝つための決断を下す立場になるとはそういうことです。どれだけ叩かれても、家に帰れば「ご苦労様」と家族に迎えてもらえたから、プレッシャーと戦えたのだと思います。

徹底したチームモラルの浸透

僕が組織を作るとき、システムや練習方法はそのチームによって変わることがありますが、「チームモラル」だけは一貫して重要視しています。例えばJリーグの監督時代、僕が朝早く来て、選手たちのロッカールームのスリッパを揃えることを繰り返していると、「監督がやっているらしいぞ」と噂になって、次第にスリッパも揃い、ロッカールームが奇麗になっていく。だって、散らかったロッカールームからいい練習につながるわけがありませんよね。僕から「片付けろ」とは言いません。これがチームモラルです。


また、練習でフィジカルコーチがグランドの隅にコーンを置き、その外側を走らせても、中心選手たちがコーンの内側を回っていて、外側を回る選手を「真面目ぶってる」と冷やかすんです。でも僕が監督になったら、選手に色々働きかけて自然とコーンの外を走るようにさせます。具体的にどうしたかは企業秘密ですが、1ヶ月もすると誰一人内側を走らなくなりますよ。運やチャンスというのは誰にでも同じように巡ってきていて、それに気づいて掴むか、掴み損ねるかのどちらかなんですよ。たった1回の「まあいいや」によって運を掴み損ねて勝てないかもしれないんです。僕はそれが嫌なんです。


こういったモラルが浸透しているチームというのは、練習を見ただけで「このチームは勝つな」とわかるんです。戦術論やシステム論も大事ですが、8割方は日々の小さな積み重ねで決まる。つまり「勝負の神様は細部に宿る」ということです。

47歳 「秘密の鍵」は選手の自主性を引き出すことだった

42歳でコンサドーレ札幌の監督に就任したとき、どこかにおごりがあったのかもしれません。「俺がやるからには、世界に通用するサッカーをして勝たせなければ」と思い込んでしまったんです。ですが、1年目は結果が出なかった。そこで、徹底的に相手チームを分析したり、確率論で指導するようにしていくと、2年目は目標であるJ2優勝、J1昇格を果たすことができました。横浜F・マリノスに移ってからもそういった形で指導をして初年度に優勝することができたんですが、それだと選手たちは「監督の言うことをやっていればいい」という意識で伸びない。「選手たちが目を輝かせて活き活きとピッチで躍動するサッカー」を理想に描いていたのに実現できていないという思いが強くありました。翌シーズンは「俺は何も言わないから、今度は自由にやってみろ」と言った途端、開幕4連敗(笑)。「申し訳ないが元に戻す」と変更したら勝ち出して、2年目も優勝できましたが、「これが自分の限界なのか」と随分苦しみました。


マリノスを辞めてからの1年半の浪人中、「俺の指導の限界を超える『 秘密の鍵』がきっとあるはずだ」と探しながら、脳科学、禅、経営など、ありとあらゆることを猛烈に勉強したんです。それでもわからなかった。ところが、2008年から再び日本代表監督になって、いつものように選手指導用のビデオをコーチと作り込みながら、ふと今までの経験や考えてきたことがパズルのようにはまって、「ああ、これだ」とわかった瞬間があったんです。指導というのは、空のコップに色々入れようとするのではなく、こちらは一歩引いて本人に考えさせ、リスクも含めて任せ、内側にあるものを最大限に引き出すこと。その真の意味に気付くことができたんです。


あとは選手たちが本番で全力を尽くせるようにする。大舞台ほどプレッシャーが大きくなるので、「人のせい」にして気を楽にさせてあげるんです。2010年のワールドカップ直前のミーティングでも僕は言いました。「日本のため、チームのためと思って重荷を背負っているようだが、全部ここに置いていってほしい。もしプレーがうまくいかなかった、試合に負けたとなったら、『 自分を選んだ岡田が悪い』と言ってくれ」とね。僕だって「俺を監督に選んだ会長が悪い」と思っていましたもん(笑)。

明確な目標とフィロソフィーをセットにする

僕は監督になると、毎シーズン「勝ち点54、ゴール50」といったような、具体的で明確な目標を設定してきました。「高すぎず低すぎない目標を」とよく言われますが、一番大事なのは「その目標を全員が本気で目指すこと」です。特に代表チームは各自のクラブから集まっては、ばらばらに帰って行くことを繰り返すので、チームに対する責任感や一体感が生まれにくい。目標はもちろん、2010年のワールドカップでは「Enjoy(楽しめ)、Our Team(我々のチーム)、Do Your Best(最善を尽くせ)、Concentration(集中)、Communication(意思疎通)、Improve(進歩)」の6つをフィロソフィーとして掲げ、「ベスト4になる」という目標に向かうための指針にしました。


目標を本気で目指させるために、僕はまず、中心となる選手3人を1人ずつ自分の元に呼んで、「俺は本気でベスト4を目指す。一緒にやらないか」と話すんです。最初にメンバー全員の前で発表すると、周りの「無理だよ」といった空気に同調してしまうので、「やろう」と引っ張ってくれる3人を固める。それからは選手たちに会うたびに問いかけ続け、一人一人に手紙も書いて、DVDも送りました。A4の紙の一番上に「ベスト4」と書かせ、達成するためにチームでできること、自分がやるべきことを書かせて日付を入れ、時々見直してほしい、という内容の手紙です。それをほとんどの選手たちがワールドカップが終わるまで持っていてくれました。


選手だけでなく、家族や料理長などのスタッフも含めて全員がチームのために全力を出せるよう、スタッフマネジメントだって徹底しました。監督にとってスタッフは大事な社員ですからね。選手は社員でもあり、大事な商品でもあるわけです。僕一人では何もできませんけど、チームのために一枚岩になれるスタッフに対しては自信を持っていましたし、彼らがいたら、本気でベスト4を目指すことができたんだと思います。

53歳 リーダーとして美しい山を登っているか

僕は座禅をするんですが、福井県にある永平寺というお寺に「淵黙雷声(へんもくらいせい)」と書いてある掛け軸があるんです。お釈迦様の弟子が「悟りって何ですか?」と聞いたら、お釈迦様が「淵(へん)は深い、黙(もく)は黙り、その黙りが雷より大きかった。つまり悟りについてなんだかんだ言うなら、修行を実践して一歩でも悟りに近づきなさい」と言ったわけです。僕もいいリーダーになろうとしてなったのではなく、「強いチームにしたい」と必死になってやってきただけで、おそらく坂本龍馬だって「この国を何とかしたい」と必死になっている姿を周りが見てリーダーになっていったのではないかと思うんです。


これは田坂広志さんも言われていることですが、リーダーの資質には決断力や行動力、先を読む力などがありますが、一番大事なのは「自分が登るべき山を持つ」ということ。つまり目標や夢です。どうマネジメントしようかとか、ハウツーを考える前に、必死になって山を登り、その姿を見た人たちが惹かれて付いていきたいと思うんです。その山も「自分が儲かるため」とか「有名になるため」といった私欲ではなく、志が高い「美しい山」であることが必要です。


物事の判断基準は「損か得か」「好きか嫌いか」「正しいか間違いか」などいろいろありますが、僕は様々な決断を下すときに必ず「この生き様は美しいか?」と自分に問いかけます。リーダーになる人は自らなろうとしてなるのではなく、志が高く美しい登るべき山を持ち、そこを本気で必死になって登っている人ではないでしょうか。そして、周囲や仲間に「一緒に登ろう!」と、ずっと訴えかけ続ける。僕はそう思います。