藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

つまる話、つまる所。


どうもエコ運動の話に、芯から同調できずにいた。
経済の話に似ていて、一方では「徹底的な利益追求」を掲げ、他方では社会貢献だの、共生だのという。
いったいどっちなのか。
どちらもなら、バランスはどこで取るのか。と。


そう考えると、エコの話も。
経済(お金)の話も。

どんどん余分なものをそぎ落とし、
どんどん本質に目を向けていくと。


最後に残っているのは自分。
「我欲」。

がよく【我欲/我▼慾】
他人のことを考えず、自分の利益のみを目指す欲望。(大辞林)

人も生き物である以上「我欲ゼロ」では生きていけない。
昆虫は自らが生き延びる分だけ、の我欲で生きているように思う。
(多分そんなこと頭では考えてないだろうけど)

環境保護のことも、「環境を保護する」という思い上がりがないだろうか。

保護してやっているのだ、というオレ様根性、といか心得違い。


つまるところは、外部への何か、ではなく「外部を汚さない自分」をどこまで貫けるか、という自分への命題なのだろう。


「このくらいでいい」とか
「私はこれはやらない」とか、そんな物ではないはず。

なんとなくエコブームが特有の厭味臭を放っていた理由が分かった。
エコしよう、ではなく「自分がエコになれ」ということだ。


自分という「計」の内側の問題が、環境問題だと分かり、なんとなく素直に自然のことなどを眺める気になったり。


あらゆる「自分の行為」を総べて環境に「プラスかマイナスか」をきちんと判断する行為が必要なのだ。


すぐには行き届かなくとも、近い将来、人の行動規範(パラダイム)はそのようになるに違いない。


今から心積もりしておこうと思う。